「角笛」を吹くことを神に語られたなら、「明瞭に」「誤解の余地のないように」吹き鳴らすべき。

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NO.224 はっきりした角笛の音


”テキスト:コリント人への手紙第一 14:7 笛や琴などいのちのない楽器でも、はっきりした音を出さなければ、何を吹いているのか、何をひいているのか、どうしてわかりましょう。
8 また、ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。

本日は、「はっきりした角笛の音」という題でメッセージをします。
私達が警告の角笛を吹き鳴らす時には、はっきりした「音色」で明確に警告をするようにとの聖書の教えについて見ていきたいと思います。

上記テキストには、「ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。」
と書かれています。ここで使われている「ラッパ」とは、旧約聖書「角笛」に相当します。
訳語が大部違うようですが、同じものをさすのです。
それで、ここでは、「角笛がもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。」という意味なのだということがわかります。

角笛は神が民に警告を与える時に使われます。以下の通りです。

”エゼキエル33:2 「人の子よ。あなたの民の者たちに告げて言え。わたしが一つの国に剣を送るとき、その国の民は彼らの中からひとりを選び、自分たちの見張り人とする。
3 剣がその国に来るのを見たなら、彼は角笛を吹き鳴らし、民に警告を与えなければならない。
4 だれかが、角笛の音を聞いても警告を受けないなら、剣が来て、その者を打ち取るとき、その血の責任はその者の頭上に帰する。
5 角笛の音を聞きながら、警告を受けなければ、その血の責任は彼自身に帰する。しかし、警告を受けていれば、彼は自分のいのちを救う。
6 しかし、見張り人が、剣の来るのを見ながら角笛を吹き鳴らさず、そのため民が警告を受けないとき、剣が来て、彼らの中のひとりを打ち取れば、その者は自分の咎のために打ち取られ、わたしはその血の責任を見張り人に問う。
7 人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。
8 わたしが悪者に、『悪者よ。あなたは必ず死ぬ。』と言うとき、もし、あなたがその悪者にその道から離れるように語って警告しないなら、その悪者は自分の咎のために死ぬ。そしてわたしは彼の血の責任をあなたに問う。
9 あなたが、悪者にその道から立ち返るよう警告しても、彼がその道から立ち返らないなら、彼は自分の咎のために死ななければならない。しかし、あなたは自分のいのちを救うことになる。”

ここで書かれているように、民の中から選ばれた「角笛」を吹き鳴らす人は、民に聞こえるように
角笛を吹き鳴らさなければならないのです。

全ての人がこの「剣」のわざわいに気付くわけではありません。しかし、神に選ばれたこの「見張り人」は気付くはずなのです。「いつ、どのように気付くのか」などと、いわれても私にはうまく説明できないのですが、しかし、はっきりしていることは、神がその「見張り人」を選ぶなら、必ず彼は、気付くのです。何故なら神が彼に示すからです。

しかし、見張り人が「気付く」ということは、一つの行為ですが、「角笛を吹き鳴らす」ことは、また別の異なる「行為」なのです。

何をいっているのかというと、明瞭に神により気付かせられたのにかかわらず、「角笛」をはっきりと吹き鳴らさない見張り人がいるということを語っているのです。

敵がすぐ陣営の目の前にまで、押し寄せてきたのにもかかわらず、そして、そのことに神が気付かせて下さったのに、それにもかかわらず「はっきりと」した明瞭な「角笛の音」をださず、敵が来たのか、昼飯の合図なのか、ひよろひょろと意味不明な音色を吹く「見張り人」は災いだと聖書は、語っているのです。

こんなことを書くと笑い話みたいですが、しかし、このことは今、私達の目の前で現実に起きています。

例えば、例の「獣のリバイバルです。このことの危険に神により気付かせられても、はっきりとした音色で「角笛」を吹き鳴らす人々は残念ながら、少ないようです。

しかしもし、私達が「角笛」を吹くことを神により語られたのなら、「明瞭に」「誤解の余地のないように」吹き鳴らすよう心掛けるべきです。

何故なら、「ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。」と書かれているからです。意味不明な警告の角笛を聞いても誰もどのように、何を警戒すべきなのか、わからないからです。

ばくぜんとした「悪い霊の働きが終末にある」というあいまいな表現でなく、「何が、どのリバイバルが危険なのか、悪霊の働きなのか」はっきりと名指しで警告すべきなのでしょう。
もちろん、主がそう語られたらの話ですが。

旧約の預言者の警告の方法はこの際、私達の助け、また標準になるでしょう。それを見る時、エレミヤにしても、エゼキエルにしても、「いつか、どこの国の誰とも知らない王がこのユダの国に攻めて来る。だから気をつけろ」というようなどうとでもとれるあいまいな警告をしたりはしなかったようです。

逆に「バビロンの王ネブカデネザルがこの国を占拠する」と具体的な警戒すべき国名、また王の名前を具体的に述べたのです。
これが角笛、すなわちラッパを吹き鳴らす者の標準なのです。

「終末にはサタンの働きがあるから気をつけましょう」などとばくぜんとしたことをいっても
誰が真剣に耳を傾けるでしょうか。「そんなことは、わざわざいわれなくても昔から知っているよ」などと、軽くあしらわれるのがおちではないでしょうか。

もちろん、私達が具体的なリバイバルの名前をあげたり、働き人の名前をあげれば、それを聞いて怒りだす人があらわれるでしょう。
しかし、これこそが、角笛を吹きならす者が通らなければならない「十字架」なのです。

そしてこれはまた、旧約の預言者や、見張り人が通ってきた道であり、標準なのです。
そうです、神からの警告を語れば、怒る人や、文句をいう人やが色々現れ、迫害されてしまうことは今、始まったことではなく、昔からそうなのです。

それなのに神から与えられた警告に忠実であるより、回りの人から嫌われたり、悪く思われないことが第一であり、色々まわりに気を使い過ぎて、結局は角笛を吹く者から意味不明、音声不明なラッパの音が出てくるということは悲しいことです。

しかし、この時代においては、人からの賞賛や、誉れ、評判よりは、「神のみから来る栄誉」を求めることにみこころがあることを知りましょう。

 

終末のおける主のみこころを行いましょう。
 

ー以上ー

 

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