2024-02-01から1ヶ月間の記事一覧

主に不忠実な、この世と姦淫を犯している教会への警告

No.185 姦淫の教会 テキスト:しん言7:5 それは、あなたを他人の妻から守り、ことばのなめらかな見知らぬ女から守るためだ。6 私が私の家の窓の格子窓から見おろして、7 わきまえのない者たちを見ていると、若者のうちに、思慮に欠けたひとりの若い者のいる…

終末の時代に黙示録にあらわれる男の子に関して

No.183 男の子について テキスト: ”ヨハネの黙示録 12:13 自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。” 本日は「男の子について」という題でメッセージをします。終末の時代に黙示録にあらわれる男の子に関して見ていきた…

聖書の「女」に関する教会のたとえについて

No.182 教会のたとえ(女) テキスト:”ヨハネの黙示録 12:13 自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。” 本日は教会に関するたとえとして「女」の項を見ていきます。聖書には、教会に関して何種類ものたとえが使われてい…

聖書の「家」に関する教会のたとえについて

No.181 教会に関するたとえ(家) テキスト: ”ペテロの手紙第一 4:17 なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。” 聖書の基本的…

聖書は同じトピックに関して複数のたとえを使う

No.180 複数のたとえ テキスト: ヨハネの黙示録 8:6 すると、七つのラッパを持っていた七人の御使いはラッパを吹く用意をした。7 第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火とが現われ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼…

終末の教会の「エジプト」と呼ばれる面について

No.179 エジプトと呼ばれる都(その2) 出エジプト記 9:8 主はモーセとアロンに仰せられた。「あなたがたは、かまどのすすを両手いっぱいに取れ。モーセはパロの前で、それを天に向けてまき散らせ。9 それがエジプト全土にわたって、細かいほこりとなると、…

終末の日に「エジプト」と呼ばれる都とは何をあらわすのか

No.178 エジプトと呼ばれる都(その1) ”テキスト:ヨハネの黙示録 11:8 彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。” 本日は「エジプトと呼ばれる都」という題…

終末の日に血に変わる海が意味することがら

No.177 血にかわる海 テキスト:黙示録8:8、9第二の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして海の三分の一が血となった。すると、海の中にいた、いのちのあるものの三分の一が死に、舟の三分…

聖書のたとえは連鎖している

No.176 たとえの連鎖 テキスト:” 黙示録9:20 これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、21 その殺人や、魔術や、不…

終末の日に山へ逃げるとは

No.175 山へ逃げよ テキスト:マタイ24:15-「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。屋上にいる者は家の中の…

終末の日、神の民のもっとも愛された教会が敵に攻められる

No.174 敵がエルサレムの門に入る テキスト:”哀歌4:1 ああ、金は曇り、美しい黄金は色を変え、聖なる石は、あらゆる道ばたに投げ出されている。2 純金で値踏みされる高価なシオンの子らは、ああ、陶器師の手で作られた土のつぼのようにみなされている。3 …

7つのラッパ、7つの鉢、7つの封印、7つの災害、7年の艱難時代‥黙示録における7の数字の意味することは

No.173 7年の患難時代 テキスト:”ヨハネの黙示録 17:1 また、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが来て、私に話して、こう言った。「ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。” 本日は7年の患難時代という題でメッセー…

パンが聖書で何をさすかを理解すると「糞」の意味するところがわかる

No.172 糞を食らい、尿を飲む(2) ”2列王18:27 すると、ラブ・シャケは彼らに言った。「私の主君がこれらのことを告げに私を遣わされたのは、おまえの主君や、おまえのためだろうか。むしろ、城壁の上にすわっている者たちのためではないか。彼らはおまえ…

終末の時代に人々は、本来の命のパンでなく、糞をくらう

No.171 糞を食らい、尿を飲む ”第二列王記18; 26 ヒルキヤの子エルヤキムとシェブナとヨアフとは、ラブ・シャケに言った。「どうかしもべたちには、アラム語で話してください。われわれはアラム語がわかりますから。城壁の上にいる民の聞いている所では、…

旧約の北イスラエルの民がたとえるものは

No.170 捕らえ移されたイスラエルの民 テキスト:”2列王記17: 6 ホセアの第九年に、アッシリヤの王はサマリヤを取り、イスラエル人をアッシリヤに捕え移し、彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザンの川のほとり、メディヤの町々に住ませた。 7 こうなっ…

3年半の艱難時代に対して聖書が語っていること

No.169 3年半の大患難時代 テキスト:ダニエル9:24 あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。 27 …

デイスペンセーション主義は終末の神の民を惑わすために作られた教え

No.168 怪しいデイスペンセーション主義 テキスト: ”マタイ24:24 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。” 本日は「怪しいデイスペンセーション主義」として、この教えの…

7つの頭と10の角を持つ獣とはローマ帝国をさすものではない

No.167 7つの頭と10の角の獣 ”テキスト:ヨハネの黙示録 13:1 また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。2 私の見たその獣は、ひょうに似ており、足…

終末の7年(1週)の契約がさすもの

No.166 7年の契約 テキスト:”ダニエル9:24 あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。25 それゆえ…

ヨシヤ王の時代の宗教改革が今の時代に関して語るもの

通算No.164 ヨシヤ王のリバイバル テキスト:”2列23:1 すると、王は使者を遣わして、ユダとエルサレムの長老をひとり残らず彼のところに集めた。2 王は主の宮へ上って行った。ユダのすべての人、エルサレムの住民のすべて、祭司と預言者、および、下…

ヨシヤ王の時代に見つかった律法を通して終末の時代に語るたとえ

通算No.163 見つかった律法 テキスト:”列王記第二 22:1 ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年間、王であった。彼の母の名はエディダといい、ボツカテの出のアダヤの娘であった。2 彼は主の目にかなうことを行なって、先祖ダビデのすべての道に…

「あらゆる部族、国語、民族、国民」とは、神の民のこと

通算No.162 あらゆる部族、国語、民族、国民」 テキスト:”ヨハネの黙示録 5:9 彼らは、新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族…

エルサレム再建の反対は終末に必ず起きる教会回復の働きへの反対

通算No.161 再建への反対 テキスト:”エズラ4:1 ユダとベニヤミンの敵たちは、捕囚から帰って来た人々が、イスラエルの神、主のために神殿を建てていると聞いて、2 ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て、言った。「私たちも、あなたが…

エズラを通して神が語る終末の日の教会の回復

通算No.160 律法学者エズラ テキスト:”エズラ7:1 これらの出来事の後、ペルシヤの王アルタシャスタの治世に、エズラという人がいた。このエズラ(助け)はセラヤ(エホバは治める)の子、順次さかのぼって、アザルヤ(エホバは助け主)の子、ヒルキヤ…

「正しいエパますを使え」とは正しい御言葉の基準を適用する事

No.159 エパます テキスト:”エゼキエル書 46:7 穀物のささげ物をするために、雄牛一頭に一エパ。雄羊一頭に一エパ。子羊のためには、手に入れることのできただけでよい。油は一エパごとに一ヒンである。” 本日は「エパます」という題でメッセージしたいと…

剣を奪われるとは、神のことばを奪われる

No.158 剣を奪われる テキスト:”エペソ人への手紙 6:17また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。” 神のことばに対して聖書は「剣」であると定義しています。このことをはっきりと理解する時、以下の黙示録のことばが理解できます。 ”黙示録…

終末の日、「ことばなる神」に忠実であることが求められる

No.157 ことばは神である テキスト: ”ヨハネの福音書 1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち…

終末の日に神に憎まれる「離婚」とは

No.156 離婚を憎む テキスト:マラキ2:”13 あなたがたはもう一つのことをしている。あなたがたは、涙と、悲鳴と、嘆きで主の祭壇をおおっている。主がもうささげ物を顧みず、あなたがたの手から、それを喜んで受け取らないからだ。 14 「なぜなのか。」と…

終末の日に主は再び十字架につけられる

No.155 再び十字架につけられる主 テキスト:”ヨハネの黙示録 1:7 見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。” 本日は「再び十字架につけられる主」と題…