黙示録の「いなごのような軍隊」とは何を意味するものか

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No.193 いなごについて(2)

テキスト:”黙示録9:7そのいなごの形は、出陣の用意の整った馬に似ていた。頭に金の冠のようなものを着け、顔は人間の顔のようであった。”

黙示録には、「いなご」のような軍隊について書かれています。これは何を意味するものでしょうか。
それを更に見ていきたいと思います。「いなごのような軍隊」については、ヨエル書に詳細な記述があります。「私的解釈」すなわち、そのテキストのみから、参照せず、他の箇所を見ていく人は、
正しい結論に近付きます。本日は「いなごについて(2)」として、ヨエル2章から見て行きます。

”ヨエル2:1 シオンで角笛を吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。この地に住むすべての者は、わななけ。主の日が来るからだ。その日は近い。
2 やみと、暗黒の日。雲と、暗やみの日。山々に広がる暁の光のように数多く強い民。このようなことは昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない。
3 彼らの前では、火が焼き尽くし、彼らのうしろでは、炎がなめ尽くす。彼らの来る前には、この国はエデンの園のようであるが、彼らの去ったあとでは、荒れ果てた荒野となる。これからのがれるものは一つもない。
4 その有様は馬のようで、軍馬のように、駆け巡る。
5 さながら戦車のきしるよう、彼らは山々の頂をとびはねる。それは刈り株を焼き尽くす火の炎の音のよう、戦いの備えをした強い民のようである。
6 その前で国々の民はもだえ苦しみ、みなの顔は青ざめる。
7 それは勇士のように走り、戦士のように城壁をよじのぼる。それぞれ自分の道を進み、進路を乱さない。
8 互いに押し合わず、めいめい自分の大路を進んで行く。投げ槍がふりかかっても、止まらない。
9 それは町を襲い、城壁の上を走り、家々によじのぼり、盗人のように窓からはいり込む。
10 その面前で地は震い、天は揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。
11 主は、ご自身の軍勢の先頭に立って声をあげられる。その隊の数は非常に多く、主の命令を行なう者は力強い。主の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられよう。
12 「しかし、今、♦︎主の御告げ。♦︎心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」
13 あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。
14 主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。
15 シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。
16 民を集め、集会を召集せよ。老人たちを集め、幼子、乳飲み子も寄せ集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。
17 主に仕える祭司たちは、神殿の玄関の間と祭壇との間で、泣いて言え。「主よ。あなたの民をあわれんでください。あなたのゆずりの地を、諸国の民のそしりとしたり、物笑いの種としたりしないでください。国々の民の間に、『彼らの神はどこにいるのか。』と言わせておいてよいのでしょうか。」
18 主はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民をあわれまれた。
19 主は民に答えて仰せられた。「今、わたしは穀物と新しいぶどう酒と油とをあなたがたに送る。あなたがたは、それで満足する。わたしは、二度とあなたがたを、諸国の民の間で、そしりとしない。
20 わたしは北から来るものを、あなたがたから遠ざけ、それを荒廃した砂漠の地へ追いやり、その前衛を東の海に、その後衛を西の海に追いやる。その悪臭が立ち上り、その腐ったにおいが立ち上る。主が大いなることをしたからだ。」
21 地よ。恐れるな。楽しみ喜べ。主が大いなることをされたからだ。
22 野の獣たちよ。恐れるな。荒野の牧草はもえ出る。木はその実をみのらせ、いちじくの木と、ぶどうの木とは豊かにみのる。
23 シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜わり、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。
24 打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油とであふれる。
25 いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。
26 あなたがたは飽きるほど食べて満足し、あなたがたに不思議なことをしてくださったあなたがたの神、主の名をほめたたえよう。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。
27 あなたがたは、イスラエルの真中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主であり、ほかにはないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。
28 その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
29 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
30 わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。
31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
32 しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。”

 

順に見ていきます。

”1 シオンで角笛を吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。この地に住むすべての者は、わななけ。主の日が来るからだ。その日は近い。”

ここでは、「主の日」について書かれています。「主の日」とは、終末の特別な日のことです。
ですから、このヨエル書の箇所は、まぎれもなく、終末の日について語っているのです。「わたしの聖なる山でときの声をあげよ。」と書かれています。聖なる山とは、教会のことであり、終末の日の教会のさばきを語っているのです。

”2 やみと、暗黒の日。雲と、暗やみの日。山々に広がる暁の光のように数多く強い民。このようなことは昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない。”

「闇と暗黒」すなわち、「教会の罪の満ちた日」に教会のさばきが行われます。
のです。さて、「ここで数多く強い民」というように、ある一つの国民に関して聖書が語っていることに注目して下さい。聖書は確かに終末に関連してある「一つの民」キリスト教会に災いをもたらすことについて語っているのです。これを真に見る人は、終末の状況を真に理解する人です。また、「このようなことは昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない。」と書かれています。
確かにこの「民」による教会への災いは、今迄聞いたことのないものなのです。

”3 彼らの前では、火が焼き尽くし、彼らのうしろでは、炎がなめ尽くす。彼らの来る前には、この国はエデンの園のようであるが、彼らの去ったあとでは、荒れ果てた荒野となる。これからのがれるものは一つもない。”

この民について、更に書かれています。ですから、この民は確かに終末の重要なポイントだということがわかります。「彼らの前では、火が焼き尽くし、彼らのうしろでは、炎がなめ尽くす。」と書かれています。ですから、彼等は火、すなわち、「霊」と関係があります。具体的にいえば、トロント、ペンサコーラ等のオカルトだか、カバラだか、わからないリバイバルを起こし、人々を惑わしていくわけでしょう。
これらのリバイバルの中では、「金歯現象」「金粉現象」のように、魔術だか、連金術だか区別のつかないような、「しるし」が行われています。また、異言に紛れて、ヘブル語で、悪魔を賛美することばが入っています。
しかし、この「悪魔に用いられた民」の教会を破壊するわざは、全く成功します。教会は彼等によって、もたらされた偽りの神学と偽りの霊により徹底的に破壊されます。「彼らの来る前には、この国はエデンの園のようであるが、彼らの去ったあとでは、荒れ果てた荒野となる。」と書かれているとおりです。

彼等の手先である某メーソン法皇のいう「終末はない」などという偽りに信者が聞き入り、同調していることは、まさにこのことばの成就です。「これからのがれるものは一つもない。」とも書かれています。彼等が広めた偽りの教えは教会の中で「正統的な教え」として中心の位置を占め、この偽りから逃れられる信者はほんのわずかでしょう。その偽り、例えば、段階携挙説等の誤りを正す者は逆に教会から追い出されたりします。人々の目は盲目になるのです。

”4 その有様は馬のようで、軍馬のように、駆け巡る。”

馬はヤコブ書によれば、教会,会衆のたとえです。ですから、彼等はある種の信者の団体、また、ある宗教民族なのです。彼等のキリスト教会への戦いは軍馬のように勇ましく、効果的に破壊を行います。このことは確かに成就しており、現在のキリスト教会で働く多くの働き人が「この手」の人々であり、キリスト教書店に並ぶ多くの本が「この手」の本です。彼等の働きはめざましく、彼等の破壊の働きは成功しているのです。

”5 さながら戦車のきしるよう、彼らは山々の頂をとびはねる。それは刈り株を焼き尽くす火の炎の音のよう、戦いの備えをした強い民のようである。”

不思議なことは、例のビデオに出てくるベニーヒン、ロドニーハワード、キャサリンクールマン等、彼等の働き人は教会内で、成功しており、はなはだしく用いられているのです。しかし、角Xで語られているようにキャサリンクールマンはフリーメーソンの墓で葬られている「その手」の人であり、ベニーヒンも「悪魔の指サイン」をする「その類の人」です。しかし、彼等は「戦いの備えをした強い民のよう」です。彼等が送り込む「霊」「刈り株を焼き尽くす火の炎」のようであり、多くのクリスチャンが惑わされています。

”7 それは勇士のように走り、戦士のように城壁をよじのぼる。それぞれ自分の道を進み、進路を乱さない。”

城壁は城、都を守る壁であり、神の教会は長い間、この教会を外の敵から守る「城壁」により、守られてきました。ものみの塔統一協会等、多くの異端が教会に向かって、攻め上ってきましたが、彼らは教会の中までは入り込むことができませんでした。城壁は健在でした。しかし、終末の日に、教会の城壁をよじのぼる敵が現れます。これは、今迄の教会の歴史には決して起こらなかったことなのです。

”8 互いに押し合わず、めいめい自分の大路を進んで行く。投げ槍がふりかかっても、止まらない。”

彼らの働き人のある者は教会の神学を牛耳り、ある者はカソリックに入り込みその高僧として、教理に影響を及ぼし、またある者はリバイバリストと称して獣の霊を教会に呼び寄せます。また、ある者は教会音楽の中に浸透して、音楽の中に悪魔的な霊やメッセージを吹き込みます。
確かに”めいめい自分の大路を進んで行く”のです。そして、投げ槍、すなわち、多少の非難に臆せず、彼らの働きを邁進させます。
 

”10 その面前で地は震い、天は揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。”

太陽、月は聖徒のたとえ、また天は太陽、月、星が位置するところ、すなわち教会のたとえです。
ですから、教会は揺れ、太陽、月なるクリスチャンが暗くなる、すなわち、罪、暗闇に入っていくのです。彼らの偽りの神学を受け入れ、
変わることないみことばを退けたゆえに、彼らは、結果として罪に陥っていきます。

”11 主は、ご自身の軍勢の先頭に立って声をあげられる。その隊の数は非常に多く、主の命令を行なう者は力強い。主の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられよう。”

終末の日に教会を破滅に導く彼らの働きはことごとく成功していくでしょう。何故そうなるのでしょう。
ここに理由が書かれています。それは、このことは主から出たからであり、彼らは、何と”主の命令を行なう者”だからです。聖書の中に神は「悪人をもわざわいの日のためにつくる」とは、書かれています。これは、まさにこのことを語っているのです。そして、この裁きはすなわち、終末の裁きの日、主の日のことをさしているのです。
”主の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられよう。”と書かれているとおりです。
私達は裁かれる方、主を恐れなければなりません。
12 「しかし、今、♦︎主の御告げ。♦︎心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」
13 あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。
14 主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。”

さて、上述したような、いなごによる害により、最終的に多くの神の民がほろびるでしょう。
しかし、ここで一転して、悔い改めのこと、心を尽くして神に立ち返ることが書かれています。
終末には、2種類の神の民がおり、裁かれる人ばかりでなく、残りの者として神に立ち返る人々もいるのです。

”15 シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。”

終末の日、”角笛を吹き鳴ら”す、すなわち、警告を発する人々があらわれるでしょう。また、”断食”が必要です。すなわち、汚れたパン、いつわりのみことばの神学や、汚れた水、偽りの霊のリバイバルから、身をさけることが必要なのです。

”16 民を集め、集会を召集せよ。老人たちを集め、幼子、乳飲み子も寄せ集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。
17 主に仕える祭司たちは、神殿の玄関の間と祭壇との間で、泣いて言え。「主よ。あなたの民をあわれんでください。あなたのゆずりの地を、諸国の民のそしりとしたり、物笑いの種としたりしないでください。国々の民の間に、『彼らの神はどこにいるのか。』と言わせておいてよいのでしょうか。」”

今、教会は、『彼らの神はどこにいるのか。』といわれる状態ですが、しかし、主の回復の時がきます。

”18 主はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民をあわれまれた。
19 主は民に答えて仰せられた。「今、わたしは穀物と新しいぶどう酒と油とをあなたがたに送る。あなたがたは、それで満足する。わたしは、二度とあなたがたを、諸国の民の間で、そしりとしない。”

主が穀物と新しいぶどう酒と油とをあなたがたに送る”といわれたように、パンとぶどう酒が回復される時がきます。しかし、これは、惑わされている神の民にとっては、「カルト」が現れる時であり、また、「ベルゼブル」と非難する時であるかもしれません。

”20 わたしは北から来るものを、あなたがたから遠ざけ、それを荒廃した砂漠の地へ追いやり、その前衛を東の海に、その後衛を西の海に追いやる。その悪臭が立ち上り、その腐ったにおいが立ち上る。主が大いなることをしたからだ。」”

「北から来るもの」とは何でしょう。聖書でいう世界の中心はエルサレムであり、その北とは北イスラエルです。そして、それは今でいうカソリックの予表と思われます。今、プロテスタントで主につく者達にとって、大きな惑わしは北から来るもの、すなわちカソリックからの影響です。すでに彼らの「偽りの外典」を含んだ聖書がキリスト教書店に並んでいます。また、仏教を含む他宗教との対話だのエキュメニカル運動などの多くの偽りがプロテスタント諸教会に入り込みつつあります。
これにより多くの人がだまされるでしょう。彼らと関係を持つ事は、「姦淫」の女と知り合う事であり、まさに北からの脅威なのです。しかし、「選ばれた者」の為には、それを遠ざけると主はいわれます。

"21 地よ。恐れるな。楽しみ喜べ。主が大いなることをされたからだ。
22 野の獣たちよ。恐れるな。荒野の牧草はもえ出る。木はその実をみのらせ、いちじくの木と、ぶどうの木とは豊かにみのる。
23 シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜わり、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。
24 打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油とであふれる。"

ここで書かれているのは教会回復の働きです。主は先の雨だけでなく、後の雨、すなわち終末のリバイバルも与えて下さいます。

”25 いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。
26 あなたがたは飽きるほど食べて満足し、あなたがたに不思議なことをしてくださったあなたがたの神、主の名をほめたたえよう。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。

いなご、ばった等、敵に破壊されたみことばの教理や教えが回復する時が来ます。

”27 あなたがたは、イスラエルの真中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主であり、ほかにはないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。”

その日、主御自身を神とすることが教会の中で回復されるでしょう。

”28 その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
29 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。”

その日、終末のリバイバルの中で多くの人々が聖霊バプテスマを受けます。

”30 わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。
31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。”

ここでは裁きについて書いています。

ここで書かれている「血」「火」のしるしは出エジプトの前に起きた「血」「火」のしるしに通じます。これは、神の霊が悪霊へと変わることのさばきです。その理由は彼らが反キリストの到来をとどめている方を取り去る(追い出す)からです。

”32 しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。”

多くの人々が「エジプトと呼ばれる都」すなわち、終末の裁かれるべき教会の中で金歯等のしるしを求めることにより、滅びていくでしょう。しかし、全てではなく、のがれる者、生き残る者がいます。
彼らは「主の名を呼ぶ者」です。ですから、どうぞ、今の時代、噐崇拝、働き人を神の位置におくことには全くみこころがありません。この方を神としなければなりません。

 

終末における主の御心を行いましょう。

 

ー以上ー

 

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