人間の教えは神の言葉を無にする。

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通算NO.142 人間の教え


テキスト:”マルコ7:1 さて、パリサイ人たちと幾人かの律法学者がエルサレムから来ていて、イエスの回りに集まった。


2 イエスの弟子のうちに、汚れた手で、すなわち洗わない手でパンを食べている者があるのを見て、


3 ーパリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人たちの言い伝えを堅く守って、手をよく洗わないでは食事をせず、


4 また、市場から帰ったときには、からだをきよめてからでないと食事をしない。まだこのほかにも、杯、水差し、銅器を洗うことなど、堅く守るように伝えられた、しきたりがたくさんある。ー


5 パリサイ人と律法学者たちは、イエスに尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人たちの言い伝えに従って歩まないで、汚れた手でパンを食べるのですか。」


6 イエスは彼らに言われた。「イザヤはあなたがた偽善者について預言をして、こう書いているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。


7 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』


8 あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」


9 また言われた。「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の戒めをないがしろにしたものです。


10 モーセは、『あなたの父と母を敬え。』また『父や母をののしる者は、死刑に処せられる。』と言っています。


11 それなのに、あなたがたは、もし人が父や母に向かって、私からあなたのために上げられる物は、コルバン(すなわち、ささげ物)になりました、と言えば、


12 その人には、父や母のために、もはや何もさせないようにしています。


13 こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。そして、これと同じようなことを、たくさんしているのです。」”
 
本日は「人間の教え」という題でメッセージしたいと思います。主はパリサイ人、律法学者に対して「人間の教え」を教えとしていると非難しました。このことの意味を見ていきたいと思います。
 
さて、この箇所を見ていく前に一つ知らなければならないことがあります。それは、主の語られた多くのことばは教会時代の我々に関する警告であり、かつ預言であるということです。ですから、これらの主のことばは我々が注意すべきことであり、かつ教会時代に現実に起きてくることがらなのです。特に終末の時代はイエスの時代の予表なので、この時代には聖書に書かれた多くのことが実現するのです。
 
さて、この箇所を順に見ていきましょう。
 
”1 さて、パリサイ人たちと幾人かの律法学者がエルサレムから来ていて、イエスの回りに集まった。


2 イエスの弟子のうちに、汚れた手で、すなわち洗わない手でパンを食べている者があるのを見て、


3 ーパリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人たちの言い伝えを堅く守って、手をよく洗わないでは食事をせず、

 

4 また、市場から帰ったときには、からだをきよめてからでないと食事をしない。”
 
”パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人たちの言い伝えを堅く守って”いることがわかります。彼等は熱心に守っているが、それは神からきたものではありません。それは人の言い伝えにすぎません。
 
”まだこのほかにも、杯、水差し、銅器を洗うことなど、堅く守るように伝えられた、しきたりがたくさんある。ー”
 
聖書が命じているわけではない多くのしきたりが神の民の間に入ってきています。これらはよいことのように見えます。しかし、これは人間のしきたりにすぎません。
 
”5 パリサイ人と律法学者たちは、イエスに尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人たちの言い伝えに従って歩まないで、汚れた手でパンを食べるのですか。」”
 
主の弟子が”昔の人たちの言い伝えに従って歩まない”ために、非難されています。これはサタンの用いる一つの手段であることを知らなければなりません。人の言い伝えをいつのまにか、教会の中に持ち込むことです。
 
”7 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』”
 
彼等は一生懸命神を拝しているようでも”人間の教えを、教えとして教えるだけだ”と主はいわれます。今の時代でも人の教えに過ぎないものが多くあります。
 
”8 あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」”
 
人間の言い伝えを守ることの大きな弊害がここに書かれています。それは、”神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている”ことです。人間のいいつたえは神の戒め、聖書の本質をすりかえ、変形、骨ぬきにしてしまうのです。
 
”9 また言われた。「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の戒めをないがしろにしたものです。”
 
人の言い伝えは神の戒めをないがしろにするのです。これらの2つはぶつかります。正面衝突という感じではなく、どちらも似ているように見えます。しかし、これらの2つはぶつかり、人の言い伝えは”神の戒めをないがしろ”にするのです。
 
”13 こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。そして、これと同じようなことを、たくさんしているのです。」”
 
さて、主は「神のことばを空文にしています。」といわれました。ですから、彼等の問題は、神のことば、すなわち聖書の解釈、神学、教理についてのことがらであることがわかります。
 
確かに今の時代の神の民は「自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。」
例をあげてみましょう。、主イエスははっきりと「たとえ」について述べました。たとえを理解することについて述べ、たとえを理解する訓練に欠けている弟子を叱責したのです。しかし、今の時代を見て見ましょう。


このように、はっきり語られた主イエスのたとえについてのことばは、”自分たちが受け継いだ言い伝え”、すなわち、神学、教え、解釈によって、”空文”にされてはいないでしょうか。誰がこのことを大事なこととしてとらえ、誰が主の弟子として訓練に励んでいるでしょうか。逆にこの主のことばは彼等の”もっともらしい議論”の中で”空文”にされているのを見るのです。
 
また、神は確かにペテロの手紙の中で、預言を”そのテキストのみから解釈”しないことを述べました。他の預言の箇所をも参照するように述べたのです。このことは誰でも辞書をひけばわかることだと思います。しかし、彼等はこの箇所の本来の意味を曲げて”私的解釈”と訳しました。このことばに基づき、どれ程多くの正しい教師が迫害されたことでしょう。彼等はまさに、”自分たちが受け継いだ言い伝えによって、
神のことばを空文にしてい”るのです。”そして、これと同じようなことを、たくさんしているのです。」”
 
さて、ここで引用されているイザヤのことばを見てみましょう。
 
”イザヤ29:9 のろくなれ。驚け。目を堅くつぶって見えなくなれ。彼らは酔うが、ぶどう酒によるのではない。ふらつくが、強い酒によるのではない。


10 主が、あながたの上に深い眠りの霊を注ぎ、あなたがたの目、預言者たちを閉じ、あなたがたの頭、先見者たちをおおわれたから。


11 そこで、あなたがたにとっては、すべての幻が、封じられた書物のことばのようになった。これを、読み書きのできる人に渡して、「どうぞ、これを読んでください。」と言っても、「これは、封じられているから読めない。」と言い、


12 また、その書物を、読み書きのできない人に渡して、「どうぞ、これを読んでください。」と言っても、「私は、読み書きができない。」と答えよう。


13 そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。


14 それゆえ、見よ、わたしはこの民に再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする。この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される。」”
 
順に見ていきます。
 
”9 のろくなれ。驚け。目を堅くつぶって見えなくなれ。彼らは酔うが、ぶどう酒によるのではない。ふらつくが、強い酒によるのではない。”
 
この預言は終末の神の民のありさまを預言したものです。彼等は「ぶどう酒」「濃い酒」のようなバビロンの教えの中でのろくなり、見えなくなります。
 
”10 主が、あながたの上に深い眠りの霊を注ぎ、あなたがたの目、預言者たちを閉じ、あなたがたの頭、先見者たちをおおわれたから。”
 
預言者たち先見者たちは今の時代の牧師、教師にあたります。彼等が眠りの霊に惑わされ、目が閉じるなら、民も惑わされてしまいます。彼等は人間的な教え、人からの教理の中でその目が閉じられていきます。
 
”11 そこで、あなたがたにとっては、すべての幻が、封じられた書物のことばのようになった。”
 
彼等は人間的な教えを長い間、この聖書の解釈に関して積み重ねてきました。その結果、この聖書の預言、また終末の預言は「すべての幻が、封じられた書物のことばのようになった」のです。
 
”封じられた書物”ということばに目を留めてください。聖書の中で封じられた書とは何でしょう。たとえば、ダニエル書は封じられた書です。「この預言のことばは終りの時まで、秘められ、封じられているからだ」といわれた通りです。また、黙示録も封じられた書です。これは7つの封印の書だからです。


”これを、読み書きのできる人に渡して、「どうぞ、これを読んでください。」と言っても、「これは、封じられているから読めない。」と言い、”
 
「読み書きのできる人」とは誰のことでしょう。神の民には2種類の人がいるといえます。それは「読み書きのできる人」と「読み書きのできない人」です。「読み書きのできる人」とはすなわちこの神のことばである聖書を正しく読み、また語り、書くことのできる人々です。または正しく読むということになっている人々です。


彼等はイエスの時代の律法学者、パリサイ人達にあたります。彼等は「読み書きのできない人」すなわち、無学な民衆とは違い、預言を正しく読み書きできることになっていたのです。しかし、実際はどうでしょう。彼等は正しく読んではいなかったのです。その結果、正しく初降臨の主イエスを受け入れることはできなかったのです。
 
今の時代にも、「読み書きのできる人」がいます。今の時代の神学者、教師達です。しかし、彼等は正しく封じられた書を読むことができるでしょうか。また、正しく主の再臨を迎えることができるでしょうか。実際は「これは、封じられているから読めない。」ということではないでしょうか。
 
”12 また、その書物を、読み書きのできない人に渡して、「どうぞ、これを読んでください。」と言っても、「私は、読み書きができない。」と答えよう。”
 
「読み書きのできる人」、教師達がこの封じられた書、終末の預言を読むことができない、解き明かすことができないのですから、「読み書きのできない人」、会衆も当然読めない、理解できないのです。要するに民の誰もがこの封じられた終末の預言を正しく読むことができないのです。
 
これから終末を迎えようとしているのに、何故このような状態なのか、反省しなければならないのです。神はこの混乱を通して神の民に警告を与えているのです。何故こうなってしまったのでしょう。
 
以下の主イエスのことばに鍵があります。
 
「こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。」
 
彼等が空文にした、ないがしろにした神のことばにこそ、実は鍵があるのです。彼等がその浅知恵により、また”もっともらしい議論”により捨て去った主イエスの語られた「たとえを解く」ことにこそ、鍵があるのです。
ですから、彼等の前に終末の預言の封印が開かれず、また門が開かれないとしても当然なのです。その鍵は既に彼等自身が自分の手で捨て去っているからです。
 
”13 そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。”
 
ですから、ここで問題になっているのは、神の教えを変えて人間の教えにしてしまうということなのです。
 
”14 それゆえ、見よ、わたしはこの民に再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする。この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される。」”
 
神は神の民の上に”再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする”といわれます。この「再び」ということばに注目して下さい。かつて歴史の中で一度”不思議なこと、驚き怪しむべきこと”が行われたことがあります。


それは、主イエスの初降臨の時のことです。その時、聖書のことばを「読み書き」できる人々、すなわち神のことばをあずかる立場であった、律法学者、パリサイ人達は正しく初降臨の主イエスを受け入れることができませんでした。そして、主を十字架につけてしまい、その身に裁きを招いてしまったのです。それは彼等が神のことばを”空文化”したこと、人間的な教えをもって神のことばとすりかえてしまったことへの裁きでもあります。


彼等は彼等自身の”空文化”した教え、解釈の結果を刈り取ったのです。そして、このこと、神の民が捨てられ、逆に異邦人に救いが及んだことは驚き怪しむべきことです。
 
しかし、神は「再び」そのことをなすといわれます。ですから、これは終末における神の民に関する預言であることがわかります。また、「この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される。」と書かれています。
知恵、悟りということばは神のことば、預言の解釈に関連して用いられることが多いのです。たとえば、ダニエルがネブカデネザルの夢を解く箇所で、やはり、知恵とか、悟りということばが使われています。


ですから、このことばは、「知恵ある者」、「悟りある者」が正しく終末の預言を解き明かすことができず、その結果滅びを刈り取る、そのことをいっているのかもしれません。
 
終末における主のみこころを行っていきたいと思います。
 
ー以上ー

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