NO.442うじのわくパン
”テキスト:出エジプト16:19 モーセは彼らに言った。「だれも、それを、朝まで残しておいてはいけません。」
20 彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝まで、それを残しておいた。すると、それに虫がわき、悪臭を放った。そこでモーセは彼らに向かって怒った。”
本日は「うじのわくパン」という題でメッセージしたいと思います。出エジプト記のマナの日に天から降りて来たパンにうじがわいたことを見ていきたいと思います。
テキストを順に見ます。
”19 モーセは彼らに言った。「だれも、それを、朝まで残しておいてはいけません。」”
かつての日、神は曠野において、神の民に対して、天からのパン、マナを与えました。このことのたとえは何なのでしょう?パンは明らかに神のことばのたとえであり、そして、それは天からあたえられるものであると語っているのです。ですから、真のパン、我々を満たすみことばのメッセージは天から来るものであり、注解書や、人の知恵を優先する愚かな神学校から来るものではありません。
これらの神学校においては、キリストは2回にアメリカは聖書に書いていないだの、トンでもないホラ話がまことしやかに吹聴されています。また出エジプト記においてこのパンは毎日毎朝天から降ってきたことが書かれています。
週の始めの日に一日だけ降って来て、そのパンで一週間しのげというのではなく、毎日、降ってきたのです。
それだけでなく、そのパンは明確に一日しかも悪臭を放ったことまで、書いてあります。これらの記述を通して神が語っていることは何でしょうか?それはパンというものはすぐ変質しやすい、なま物であり、また、すぐ虫がわいたりするもの、不変のもの、どんな時期においても通用するというものでないということです。
これが第一義です。そしてもちろんたとえの意味あいがあります。
ここでたとえで語られていることは、パン、神のみことばに関するメッセージや、教理というものは、不変ではない、もう少し言い方を変えると、それは、ある日、ある一日、ある時代にしか通用しないものだということを語っているのです。もちろん、私は、聖書のみことばが変わる、変化するといっているのではありません。
聖書のことば、創世記なりのことばは、かつて書かれた通り、今も同じです。しかし、天から、降るパン、マナ、メッセージに関しては、これは、ある一日にしか通用しない、次の日になるなら、もう通用せず、変質し、虫がわき、悪臭を放つのです。これは、このことは、確かに実際の事実と符合します。
かつて、たとえば、アブラハムの時代の教えは今は、それをそのまま現代に通用させようとするなら、それは無理があります。アブラハムはめかけを持っていたのだから、我々も持つべきか?そうはいかないでしょう。
アブラハムは息子のイサクをたきぎの上ではん祭にささげようとしたので、我々もたきぎと刀を持って、息子を殺してささげるべきか?そうもいかないでしょう。そんなことをすれば、殺人罪に問われます。アブラハムは我ら現代のクリスチャンにとって信仰の先祖でありますが、しかし、アブラハム時代のパン、メッセージ、教理を今、我々の時代にそのまま適用させようとするなら、そこには、無理があり、うまくはいかないのです。それはもうすでにウジがわき、悪臭を放っています。
これを現代の神学用語でいうなら、デイスペンセーション主義とでもいうのですか。デイスペンセーション主義をいいだした、JNダービーは2度に渡るキリストの再臨(これは聖書にはない教理、全くの異端教理)などという、オカルト的な教理、霊媒である15才の少女マーガレットマグドナルドの幻をもとにした、トンデモ教理をいい広めたトンデモおじさんではありますが、彼のいうデイスペンセーション主義には、聖書的には確かに一理あるといえるでしょう。
しかし、これらの嘘つきどもの腹の立つインチキな方法は、いかにも聖書的な良いことをいいながら、その裏でトンでもない教理をまぜていることであり、真実半分、しかし、嘘も半分はいっている巧妙な嘘つきなのです。惑わされてはいけません。この様に明らかに聖書は、時代時代に天から降りてくるマナは次の日にはもう通用しないことを語っています。
”20 彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝まで、それを残しておいた。すると、それに虫がわき、悪臭を放った。そこでモーセは彼らに向かって怒った。”
古いパン、前の日のパンを食べようとする、また保存し残しておくとどうなるか?何とそのパンは、もう虫がわき、悪臭を放ったことが書かれています。だから、我々はパン、古いパンを今の時代に持ってくるべきではないのです。
それはもう悪臭がして食べることはできないのです。これは一つの大きな原則です。
しかし、例外の日があります。この日に関してはよくよく注意すべきです。それは、7日目、安息日のことであり、この日、もうパンは降らない、逆にその前の日、6日目に2日分のパンが降るのでそれを食べるよう、明確に聖書は
述べているのです。これを守るべきです。
何故7日目についてだけ、その様に特別な注意があるのかを考えたことはありますか?聖書は唯一未来を見通すことのできる方により、書かれた特別な本であり、この本のみ、未来を語っています。これらの安息日に関することばが暗示するこの7日目とは、確かにトンでもない日、みことばの神からの啓示など教会には与えられなくなる日なのです。だから、我々はその様に聖書が語るようにこの日を理解すべきなのです。
もうすでに7日目に関する大々的な偽りは世界規模で世界中の教会を覆いつつあります。
あの嘘つきグループ、ピーターワグナー、ビルハモン、カンザスシテイの嘘つき預言者クラブの連中などが、練り上げた嘘話、壮大なほら話が、全世界の惑わされたクリスチャンを捕らえるべく、盛大に宣伝されつつあります。
それらの嘘は巧みであり、いかにもクリスチャンに麗しく魅力的にそして、うまく彼等を惑わすべく用意されています。それらの一人、ビルハモンなどは、新しい世紀に関して、「新しいデイスペンセーションが始まった」と語り、またピーターワグナーは「パラダイムシフトが起きた」と語ります。パラダイムシフトとは軸変換という意味です。要するに新しい時代に移ったということでしょうか。また、トランスフオーメーション、トランスフイギュレーション、すなわち、時代が変わってすばらしい、時代、変化が到来したとこれらの第3の波系の人々は語っているのです。
彼等は今の世紀、また7つ目のミレニアムにおいて教会はすばらしい啓示と祝福と変化と勝利の時代を迎えると語っているのです。しかし、これは聖書の教え、みことばと全くぶつかる反対の主張であることをよくよくとらえて下さい。聖書は、明らかに7日目には、マナがやむこと、天からのパンはもう降らないことを語っています。ですから、教会は7日目において、冒涜と不信の極致に至るのであり、彼等嘘つきの主張と全く反対のことを聖書は語っているのです。
今の時代を示す唯一の地図、コンパスは聖書であり、私達はこのことばのみを頼りに今の
時代をみわけなければなりません。
悪霊のリバイバル集会、金粉の器、しるしと不思議の偽りに基づいて判断すべきではありません。全ての者を偽り者とするとも、神のみを正しいとすべきです。
終末における主のみこころを行いましょう。
ー以上ー