福音はまず西へ、そして終末には東に向かうことを見ていく。

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No.290 東亜の天使
”テキスト:使徒16:6 それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。
7 こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
8 それでムシヤを通って、トロアスに下った。
9 ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。
10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。”

 

本日は「東亜の天使」という題でメッセージしたいと思います。

福音はまず西へそして終末には、東に向かうことを見ていきたいと思います。

かつて福音は、旧約の神の民へ伝えられました。
イスラエル民族は特別に神により選ばれた民族でした。しかし、彼らは、背信背信をかさね、ついにある日、福音は彼らのもとを離れ、ペンテコステの日を契機に、「救いは異邦人」へ移りました。
このことは、終末に起きることの型であり、終末の日に、福音は、新約の神の民を離れ、今、
未信者と呼ばれる人々へ移っていくと思われます。

さて、以上のことは、縦の軸、時間軸に沿った歴史です。福音がかつての神の民の不信のゆえに新しい神の民に移るということは、この軸に沿って何度か起きていることなのです。

さて、見方を変えて、縦では無く横の方向を考えてみましょう。すなわち、西とか東という方向を考えてみましょう。どうも聖書は、この面においても「かつての神の民の不信のゆえに、福音が次の民に移る」ということを語っているように思えます。今日はそのことを見ていきたいのです。

順に見ます。

”6 それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。”

ここでいう「彼ら」とは他でも無い使徒パウロの一行です。異邦人への伝導に大きく用いられたのは何といっても彼、パウロです。しかし、ここで不思議なことがありました。「アジヤでみことばを語ること」聖霊がとどめたのです。アジアとは要するに世界の東の地方のことであり、明らかに神はこの地上の福音をまず西向き、西洋の人々に向かって初めに開いたのです。ですから、我々はこの記述を通して、神が初めの福音の民として、選んだのは明らかに世界の西側の人々、西洋に属する人々であることを理解するのです。

このことにより、西洋ではキリスト教は大いに栄えました。
多くの大きな教会が西洋の国々に起こされ、また宣教師は世界中を回り巡るようになったのです。

”8 それでムシヤを通って、トロアスに下った。
9 ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。”

さて、彼らはアジアで福音を語ることを禁じられたのですが、それとともに不思議な夢を見ました。
それは、「ひとりのマケドニヤ人」の夢です。
さて、ここで現れたのが、バビロン人でもなく、ペルシャ人でもなく、マケドニヤ人であったことには、語りかけがあります。

マケドニアとはギリシャ帝国発祥の地であり、またダニエル8章によれば、終末の反キリスト的獣の国は、このギリシャ帝国のすえ、角としてあらわれるからです。
終末の日に真に神につく民を迫害する国々は、獣の国、また10本の角として表現されますが、
これらの国は、みなギリシャ、ローマのすえなのです。
ですから、私たちは、西向きに伝わった福音、「ことばなる方」は、この西の国々の歴史の中で変型され、最後には、拒否されることを見るのです。

”10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。”

マケドニヤとはギリシャ帝国の祖、アレキサンダー大王発祥の地、すなわち西洋文明の起点の地であり、神はまずこの場所から、福音を宣べつたえることを望まれたのです。

さて、このようにして、西回りで全世界に伝えられた福音ですが、しかし、この方、「ことば」なる方は、この西の国において、終末が近ずくにつれて、変型されてきました。あるべき形から、外れてきたのです。

そして、この終末の時代、西回りの福音は西側の最後の国、某国において、それこそ、「殺されよう」としています。
神のことばは、偽りの神学により変型され、無価値なものに変えられています。
私たちは、この国発の「イエスは蘇られなかった」「処女降誕はありえない」「Q資料」などのあらゆる、冒涜的な神学を受けています。
またこの国発の、獣の霊のリバイバルを受けています。
かつて、旧約の最後の世代の人々は、「ことばなる方」エス、を殺そうと試み、事実殺してしまいました。
同じ意味あいで「西回りの最後の国」はこ「ことばなる方」を殺そうと試みています。

かつて「ことばなる方」が、旧約の最後の世代の人々に語られた以下のことばはそのままこの獣の国に 成就しています。

ヨハネ8:40 ところが今あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに話しているこのわたしを、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことはしなかったのです。
41 あなたがたは、あなたがたの父のわざを行なっています。」彼らは言った。「私たちは不品行によって生まれた者ではありません。私たちにはひとりの父、神があります。」
42 イエスは言われた。「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。
なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わしたのです。
43 あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。
44 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。”

さて、このように西回りで伝えられた福音は、今やこれらの西側の国において、捨てられ、変型されましたが、これらの国がこのようにこの方を扱ったために、終末の時代においては、このお方は、どうも東の国々を顧みられるようになるようです。

かつて、聖書に、「西の方において、エホバの御名を恐れ、日出ずる方においてエホバの栄光おそるべ し」と記されたことは今の時代、成就するのかもしれません。

アジアで福音を語ることを禁じた神は明らかに西の国々を「先のもの」定めたようです。
しかし、だからといって、神が東の国々を見捨てられたわけではなく、ただ彼らは「後のもの」とされ たのです。
「先のものは後に、後のものは先に」と書かれている通りです。

ですから、これからは東の時代なのです。西の国々に捨てられたこの福音は東の国々にお今て、その本来の力を表すでしょう。
今起きつつある共産主義国中国におけるリバイバル、韓国における聖霊の働きはこのはしりかもしれま せん。

終末について記してある黙示録には、終末の時代において、東の国々から始まる聖霊の働きに ついて明らかに述べています。以下の通りです。

”黙示録7:1 この後、私は見た。四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押え、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。
2 また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。
3 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」
4 それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。”

この箇所を順に見ます。

”1 この後、私は見た。四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押え、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。”

ここで風が御使いにより押さえられています。
この風は地の上に害を及ぼすものです。この風ということばは以下のように、家を倒したり、弟子達を脅かすために使われているものと同じ原語なので、あまり良い意味はないようです。

”マタイの福音書 7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。

マタイ8:26イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。”

黙示録の後の方の記述に、聖霊の印を押される」者達のことが記されているので、この風とは、聖霊と反対の存在、悪霊を表すのかもしれません。

悪霊は、聖書で預言されているように終末のある特定の時に、「解き放たれ」ます。

この日こそ、かつて聖書が「その日は、ノアの日、ロトの日」と語った定められた日なのです。ノアの洪水の日に天からせきを切ったように大量の水が地に降り注ぎ、世界中を襲う大洪水になったように、終末の日に悪霊の洪水があります。この4人の御使いが手を離すその時、それは起きます。

”2 また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。”

さて、それらの「定められ、用意された悪霊」とは別にもう一人の御使いがあり、彼は、悪霊とは反対の霊、聖霊の印をもって上ってきます。そしてこの御使いは他でもない、「日の出るほう」、東から来るのです。これこそ、西の国において冒涜され、捨てられた方が、「東」において、その栄光を表すことを述べた箇所なのです。

”3 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけな い。」”

ここで、「日の出るほう」、世界の東において、「神のしもべたちの額に印」を押されることが書いて あります。ですから、西において、捨てられ、冒涜された方の霊はこの日、東において、多くの神のしもべに下ることがわかります。これは、終末における東の国々への聖霊の大傾注です。

”4 それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。”

さて、ここでの聖霊の大傾注は、イスラエルの子孫のあらゆる部族」に関するものです。
この箇所のイスラエルの子孫のあらゆる部族」とは、たとえというより、具体的な、民族としてのイスラエルの子孫のあらゆる部族」と思われます。その理由は、この後の節で12部族の具体的な名前が記されているからです。

黙示録には、もう一箇所、14万4000人について書いてある箇所があります。こちらは、新約的な記述で あり、イスラエルの子孫のあらゆる部族」というより、新約のクリスチャンと関係しているように思 えます。すなわち、2種類の14万4千人が黙示録には記されているのです。

さて、中東の国、イスラエルの12部族が何故東の方、アジアあたりで神の印を受けるのかは、
不思議ですが、色々なことがらを考察するとそうでもありません。
かつてのイスラエル12部族のうち、北イスラエル、10部族は現在、どこに存在しているのかわかりません。中東から、ずっと東に移動して東アジアあたりに来ている可能性も十分あるので、それを考えればつじつまがあいます。

この黙示録の箇所は、終末の日にかつてのイスラエル民族の子孫がそれと気付き、この方の印を受ける、そのことを暗示しているのかもしれません。

尚、10部族と書きましたが、私は個人的には、12部族かもしれないと思っています。
何故なら、現在、中東の国にいるのは、アーサーケストラーの著書「13支族」によれば、アブラハム とは血縁関係のない人々であり、それが本当なら、実はユダ族も現在行方不明ということになるからで す。

もしかすると、もっとも東の国、日出る国、日本に、彼らの子孫がいる可能性も十分あるかもしれませ ん。
日本の万世一系天皇は世界の歴史にもユニークな家系です。すなわち、どの天皇も必ず祖先の血筋が 繋がっています。そして、このこと、血筋の連続は、聖書を読む時他ならぬ、ダビデ系図、ユダ国の 王家においても行われていました。この國の王は、聖書を読む時、代々同じ血縁から王を出しているか らです。

そして、これは、この2國の王室以外、世界のどこの王室にも見られないことなのです。
ですから、ある意味、世界でユダの王族の血をついでいる可能性のもっとも高い王室が、日本の天皇家 なのです。
他にも日本に伝わる、みこし=契約の箱、神宮=聖書の聖所、等いろいろ聖書の民と日本の風習を結び 付けているように思えることがらは多いのですが、この件に関しては久保有政さん等の書かれた、関連本がいくつ か出ているのでそれを読むのが良いと思えます。

さて、この西と東という観点から見ると先の大平洋戦争は、非常にユニークな戦争でした。
この戦争の前には、アジアの国々、インド、フイリピン、シンガポール等は、西の国々により、植民地になっていました。彼らは西の国に占領され、搾取され、独立国としての誇りを与えられていな かったのです。しかし、それらのアジアの国々は、この戦争を契機に皆独立を果たすことができたので す。そして、その立て役者は何といってもこのもっとも東の国、日本だったのです。
もちろんこの戦争に関しては、色々な意見があるので、一概には良いといえないかもしれません。(教会への迫害等はもちろん、よくない)
しかし、この点、「東の国、日本が西からの圧迫を跳ね返した」ということは一つの事実として見ておくべきと思われます。

そして、もしかすると、これはこれから起こらんとすることの予表かもしれないと個人的には
思っています。

すなわち、現在キリスト教会の中で起きている西からのありとあらゆる形での冒涜は、終末の日、東からの聖霊の神の印を受けた人々により回復されることがここに書かれています。そして、その働きに、 この「日の丸」すなわち、東の太陽を旗印にした国が大きく用いられるような気が、個人的には、しま す。

日本は御存じのようにもっともクリスチャン人口の低い国です。私はクリスチャンになって、何十年か になりますが、「何故神様はこの国の人々を救わないのだろう、何故、キリスト教はこの国で広まらな いのか」とずっと疑問に思ってきました。

しかし、最近、キリスト教会における、悪霊のリバイバル、あらゆる偽りの教理を知るようになって、 考え方を変えました。もしかすると神様は、この「偽りのリバイバルを起こさないことにより」この国 をこれらの偽りから、守っておられたのかもしれません。

しかし、主の時に、この国の多くの人々は聖霊の印」を受けるのかもしれません。そして、
その印を受けた人々は、「西からのあらゆる偽り、冒涜」により弱り果てた国々の教会を復活させ、
神の霊を呼び下すのかもしれません。
かつて大平洋戦争の時、世界で特別な役割を果たした国、日本、アジア、アフリカの多くの国々の植民地からの独立の契機となった、独立国日本。この国は、その日、神により、この
東からの神の印を受けた者として、世界の大収穫の時に、特に西からの偽りをくつがえすために、特別な働きをなすような気がするのです。これは、日本人である私の想像も入っていますが、今はそんな気がします。

かつて私達の先達が、「日出る国におそるべし、神のみいつの輝きを来たらす迄は迫られて、祈るこの火の使命者を」と歌ったことばはこの日、成就するのでしょう。
 

終末における主のみこころを行いましょう。

 

ー以上ー

 

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