終末の日、ツロで表される、主の弟子の立場に立つ人々への裁きについて見ていく。

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No. 289 ツロについて(2)
テキスト:”エゼキエル28:1 次のような主のことばが私にあった。
2 「人の子よ。ツロの君主に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは心高ぶり、『私は神だ。海の真中で神の座に着いている。』と言った。あなたは自分の心を神のようにみなしたが、あなたは人であって、神ではない。
3 あなたはダニエルよりも知恵があり、どんな秘密もあなたに隠されていない。
4 あなたは自分の知恵と英知によって財宝を積み、金や銀を宝物倉にたくわえた。
5 商いに多くの知恵を使って財宝をふやし、あなたの心は、財宝で高ぶった。
6 それゆえ、神である主はこう仰せられる。あなたは自分の心を神の心のようにみなした。
7 それゆえ、他国人、最も横暴な異邦の民を連れて来て、あなたを攻めさせる。彼らはあなたの美しい知恵に向かって剣を抜き、あなたの輝きを汚し、
8 あなたを穴に投げ入れる。あなたは海の真中で、刺し殺される者の死を遂げる。
9 それでもあなたは、自分を殺す者の前で、『私は神だ。』と言うのか。あなたは人であって、神ではない。あなたはあなたを刺し殺す者たちの手の中にある。
10 あなたは異邦人の手によって割礼を受けていない者の死を遂げる。わたしがこれを語ったからだ。��神である主の御告げ。��」
11 次のような主のことばが私にあった。
12 「人の子よ。ツロの王について哀歌を唱えて、彼に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。
13 あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルド。あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、これらはあなたが造られた日に整えられていた。
14 わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。あなたは火の石の間を歩いていた。
15 あなたの行ないは、あなたが造られた日からあなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。
16 あなたの商いが繁盛すると、あなたのうちに暴虐が満ち、あなたは罪を犯した。そこで、わたしはあなたを汚れたものとして神の山から追い出し、守護者ケルブが火の石の間からあなたを消えうせさせた。
17 あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。
18 あなたは不正な商いで不義を重ね、あなたの聖所を汚した。わたしはあなたのうちから火を出し、あなたを焼き尽くした。こうして、すべての者が見ている前で、わたしはあなたを地上の灰とした。
19 国々の民のうちであなたを知る者はみな、あなたのことでおののいた。あなたは恐怖となり、とこしえになくなってしまう。」
20 次のような主のことばが私にあった。
21 「人の子よ。顔をシドンに向け、それに預言して、
22 言え。神である主はこう仰せられる。シドンよ。わたしはおまえに立ち向かい、おまえのうちでわたしの栄光を現わす。わたしがシドンにさばきを下し、わたしの聖なることをそこに示すとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。
23 わたしはそこに疫病を送り込む。そのちまたには血が流れ、四方から攻める剣のため、刺し殺された者がその中に倒れる。このとき、彼らはわたしが主であることを知ろう。
24 イスラエルの家にとって、突き刺すいばらも、その回りから彼らに痛みを与え、侮るとげもなくなるとき、彼らは、わたしが神、主であることを知ろう。
25 神である主はこう仰せられる。わたしがイスラエルの家を、散らされていた国々の民の中から集めるとき、わたしは諸国の民の目のまえで、わたしの聖なることを示そう。彼らは、わたしがわたしのしもヤコブに与えた土地に住みつこう。
26 彼らはそこに安らかに住み、家々を建て、ぶどう畑を作る。彼らは安らかにそこに住みつこう。回りで彼らを侮るすべての者にわたしがさばきを下すとき、彼らは、わたしが彼らの神、主であることを知ろう。」”

本日は、「ツロについて(2)」という題で、メッセージします。
終末の日、ツロで表される、主の弟子の立場に立つ人々への裁きについて見ていきたいと思います。
順に見ます。

”1 次のような主のことばが私にあった。
2 「人の子よ。ツロの君主に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは心高ぶり、『私は神だ。海の真中で神の座に着いている。』と言った。あなたは自分の心を神のようにみなしたが、あなたは人であって、神ではない。”

『私は神だ。海の真中で神の座に着いている。』とツロ、終末の日の教師達は語ります。
この「神だ」との言葉は、偶像崇拝、人を神の立場に置き換える、噐崇拝、働き人崇拝に関連します。

終末の日の働き人の問題が、「自分を神の立場に置いてしまう」ということだということがわかります。
このことは、今、この終末の日に実現しており、多くの信者が「しるしと不思議を行う噐」を神の位置においています。

「海の真中で神の座に着いている」と書かれています。海は、水の満ちる所、水は、霊のたとえです。
弟子の働きが大きく広がる、そのたった一つの理由は、これらの働き人を通して聖霊のわざが現れたことです。それは、感謝ですが、しかし、終末の日においては、そのわざが、かえってこれらの働き人を高ぶらせ、罠にかける物となっていきます。

また、「あなたは人であって、神ではない。」と書かれています。ですから、ツロとは、御使いでも、サタンでもなく、人に関すること、具体的には、岩と予表された弟子に関する預言だということが理解できます。

”3 あなたはダニエルよりも知恵があり、どんな秘密もあなたに隠されていない。”

弟子の一つの特徴は、知恵があるということです。これは、ヨハネの手紙にいう、神から与えられた油、聖霊の知恵です。

”4 あなたは自分の知恵と英知によって財宝を積み、金や銀を宝物倉にたくわえた。
5 商いに多くの知恵を使って財宝をふやし、あなたの心は、財宝で高ぶった。”

金銀は信仰と関係することば、財宝は、聖霊のたまものと関係することばでしょうか。
これらは神からのたまものであり、すばらしいものですが、しかし、残念ながら、これらのたまものがこのツロを高ぶらせることになります。「あなたの心は、財宝で高ぶった。」と書かれている通りです。

”6 それゆえ、神である主はこう仰せられる。あなたは自分の心を神の心のようにみなした。”

「自分の心を神の心のようにみなした」とのことばは、主の弟子を標榜する献身者のもっとも気をつけなければならないわなかもしれません。自分の判断を過信することでしょうか。しかし、あくまで、主があっての弟子であり、僕です。この方の声に聞き従うことから外れてはいけません。神のことばよりは、人を偶像視することを「選び取り」、あいも変わらず、「キリストが2度に渡って再臨する」という空想話を語り続けている愚かな人々は、その愚かな選択の酬いを受けることを知るべきです。

”7 それゆえ、他国人、最も横暴な異邦の民を連れて来て、あなたを攻めさせる。彼らはあなたの美しい知恵に向かって剣を抜き、あなたの輝きを汚し、
8 あなたを穴に投げ入れる。あなたは海の真中で、刺し殺される者の死を遂げる。”

「最も横暴な異邦の民」はやけに聖書に詳しい、しかしクリスチャンでない人々のことかもしれません。

「あなたの美しい知恵に向かって剣を抜き」と書かれているように、終末の牧師達は、これらの民の偽りの教理、偽りの解釈に倒されていきます。すでに多くの者が倒されており、「終末の日には、教会時代は終わりを告げ、別の時代に入る。(イスラエルの時代に入る)教会は患難の前にに挙げられる」というデイスペンセーション主義は教会であたかも真理であるかのように、行き巡っています。

剣は、みことば、教理と関係します。「刺し殺される者の死を遂げる」とのことばは、偽りの教理により倒されていく弟子、牧師の姿を示すのでしょう。

”9 それでもあなたは、自分を殺す者の前で、『私は神だ。』と言うのか。あなたは人であって、神ではない。あなたはあなたを刺し殺す者たちの手の中にある。
10 あなたは異邦人の手によって割礼を受けていない者の死を遂げる。わたしがこれを語ったからだ。”

「異邦人の手によって割礼を受けていない者の死を遂げる」と書かれているように、終末の日の、弟子、教師達は、異邦人、キリストを信じていない者達の偽りの教理に勝つこと、偽りを見抜くことができず、逆にこれらの教理の中で倒されていきます。

福音書の記述には、偽りがある。キリストは決して奇跡は行わなかった。彼はただの大工のおっさんに過ぎない」などという教理、教えは、クリスチャンではない、未信者以外には、決していわない偽りなのですが、終末の日の惑わされた教師達はそれを受け入れていきます。彼らは、「異邦人の剣」により倒されていくのです。

”11 次のような主のことばが私にあった。
12 「人の子よ。ツロの王について哀歌を唱えて、彼に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。
13 あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルド。あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、これらはあなたが造られた日に整えられていた。
14 わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。あなたは火の石の間を歩いていた。”

「あらゆる宝石があなたをおおっていた。」とは弟子に与えられるたまものをさすのかも知れません。
主の弟子はたまものに道ち、美徳に満ちています。このことはすばらしいことであり、決して問題ではありません。

”15 あなたの行ないは、あなたが造られた日からあなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。
16 あなたの商いが繁盛すると、あなたのうちに暴虐が満ち、あなたは罪を犯した。そこで、わたしはあなたを汚れたものとして神の山から追い出し、守護者ケルブが火の石の間からあなたを消えうせさせた。”

このように主に愛せられ、美のきわみといわれた弟子の中に「不正が見いだされる」日がきます。
それは、終末の日であり、それゆえに彼らは主の前から消え失せます。
終末の日は、主の弟子と自称する人々さえ、罪に入っていく日なのです。私たちがいかにその歩みを気をつけなければならないかがわかります。

”17 あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。”

教会の中で、主の弟子、牧師といわれる人々は、ほめられ、用いられます。
しかし、終末の日にはそのことが仇となり、主の知恵に頼らず、人の知恵により頼む人々は、惑わされていきます。「その輝きのために自分の知恵を腐らせた。」と書いてある通りです。

”18 あなたは不正な商いで不義を重ね、あなたの聖所を汚した。わたしはあなたのうちから火を出し、あなたを焼き尽くした。こうして、すべての者が見ている前で、わたしはあなたを地上の灰とした。
19 国々の民のうちであなたを知る者はみな、あなたのことでおののいた。あなたは恐怖となり、とこしえになくなってしまう。」”

終末の日は、主の弟子、「ペテロの後継者」と自称する人々にさえ、裁きが及ぶ日であることを知るべきです。「火を出し、あなたを焼き尽くした。」と書かれているように、彼らは惑わしの霊、悪霊により、倒されていきます。

”21 「人の子よ。顔をシドンに向け、それに預言して、
22 言え。神である主はこう仰せられる。シドンよ。わたしはおまえに立ち向かい、おまえのうちでわたしの栄光を現わす。わたしがシドンにさばきを下し、わたしの聖なることをそこに示すとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。”

シドンとは、「漁をする」という意味であり、「人を漁どる弟子」ペテロの末裔にあたる終末の弟子に関する預言です。終末の日に彼らにさばきが行われます。

”23 わたしはそこに疫病を送り込む。そのちまたには血が流れ、四方から攻める剣のため、刺し殺された者がその中に倒れる。このとき、彼らはわたしが主であることを知ろう。”

彼らは「疫病」にかかります。彼らは目の病になり、霊の目が見えなくなり、耳の病になり、霊の耳が聞こえなくなり、「良き羊飼い」の声を聞きわけられなくなります。

また、剣、すなわち、教理で倒されていきます。「段階軽挙説」を始めとする偽りの教理を恥ずかし気もなく受け入れるようになるのです。

”24 イスラエルの家にとって、突き刺すいばらも、その回りから彼らに痛みを与え、侮るとげもなくなるとき、彼らは、わたしが神、主であることを知ろう。”

ここでいうイスラエルの家」とは、このように偽りに満ちた終末の日においてさえ、主に忠実を尽くす、神に選ばれた人々のことと思います。
ここで、いきなり、「突き刺すいばらも、その回りから彼らに痛みを与え 、侮るとげ」について書かれています。これは何をさすのでしょう?これは、実はこの章でずっと話題になってきた、「ツロ」のことと思われます。彼ら、終末の日に変質してしまった教役者達は、主につく民にとって、「突き刺すいばらも、侮るとげ」になります。

「正統的な教理である段階軽挙説を信じないとは異端だ」などといって、いばらやとげのようにこれらの人々を迫害、攻撃するのかもしれません。

しかし事実は、これらの主につく民が異端なのではなく、彼ら、終末の教師達が、変質し、真理から、遠く離れてしまったのです。しかし、これらの偽りに加担する教師達は終末の日に主の前から一掃されてしまうことを知りましょう。

”25 神である主はこう仰せられる。わたしがイスラエルの家を、散らされていた国々の民の中から集めるとき、わたしは諸国の民の目のまえで、わたしの聖なることを示そう。彼らは、わたしがわたしのしもべヤコブに与えた土地に住みつこう。
26 彼らはそこに安らかに住み、家々を建て、ぶどう畑を作る。彼らは安らかにそこに住みつこう。回りで彼らを侮るすべての者にわたしがさばきを下すとき、彼らは、わたしが彼らの神、主であることを知ろう。」”

ここで、今迄記されてきた「ツロ」に関する記述と対称的に、終末に集められるイスラエルの家」について書かれています。ですから、この二者は、終末の日に対称的な位置に置かれることが暗示されていると思われます。

「終末の日に変質し、神のみこころの民を迫害、非難する側に回るペテロのすえ、教師達」そして、「終末の日に主により呼び集められる神の民」これらは、対称的なのです。

彼らには苦難が予想されますが、「回りで彼らを侮るすべての者にわたしがさばきを下す」と書かれているように終末の日には彼らをどう捉えるかにより、クリスチャンに、裁きが下ることを知りましょう。
 

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 

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