クリスチャンは、終末の日の怪しい教え、教理に惑わされこの世についたもの、天的なものから離れていくようになる。

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NO. 488 実を落とすいちじく
テキスト:”黙示録6:12 私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。
13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。
14 天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。
15 地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、
16 山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。
17 御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」”

 

本日は「実を落とすいちじく」としてさらにいちじくに関して見ていきたいと思います。
テキストは上記黙示録の箇所です。ここにいちじくが青い実を振り落とすことが書いてあります。この箇所を理解したいと願っているのです。
いちじくに関して今まで、「いちじくは神の民をさす」ことを見てきました。さらに、「主イエスの時代、主が実を結ばないいちじくを呪われたこと」すなわち、不信の神の民が呪われたことを見ました。

さて、同じこと、いちじくの実に関することが黙示録に出てきます。黙示録は教会の終末に関して書かれた書ですが、この中で、いちじくの実に関することが再現することを見るのです。このことの意味合いを見ていきましょう。テキストに沿って見ます。

”12 私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。

「小羊が第六の封印を解いたとき」とのことですが、小羊はかつて見たように、殉教のキーワードです。ですから、神につき、みことばにつく民の艱難と殉教が起きる中で、黙示録の裁きは進行し、継続することがわかります。それで、この箇所を通して私達はこれからの時代のキリスト教会に関して持つべき、心得、心の準備ということを見るべきです。

それは、私達がこれから始まる黙示録の時代において、裁かれる者となる、裁かれるクリスチャンとなるのか、そうでないかということは、私達が、これからキリスト教会に起きるカルトたたき、異端者たたきにどう対応するかということと関係するからです。はっきりいいますが、これらの主につく人々へのカルトたたきに同調する盲目なクリスチャンは裁きを免れないでしょう。

そして、もう一つはっきりいっておきます。この主につく人々へのカルトたたきは、欧米ではもうすでに始まっており、日本でも起こりつつあります。意図的に主につくクリスチャンを罪に定める怪し気なカルトハンターは暗躍しており、これにだまされている人々も多数です。

「大きな地震が起こった。」

地震は、地を揺るがし家を崩すものであり、家、教会を揺るがすことがらのたとえと思われます。ですから、これから、キリスト教会に大変動、大変革、大変化が起きるのです。大変革なんていうと良いことの様に思えますが、端的にわかりやすくいえば、大冒涜に入っていくということです。

そんなことは信じられないという人もいるかもしれませんが、今の自然、世の中、社会の動きを見てみましょう。私達のまわりの環境は激変し、大洪水、大地震、大きな津波、大ハリケーン等がひんぱんに起きています。雪が降れば、未曾有の大雪になり交通も遮断してしまいます。社会も911テロだの、テロリストの暗躍だの、嘘だか、本当だか、何やら騒がしくなっています。


日本の政治も激変し、番犬首相の率いる党に日本は蹂躙されています。経済をいうなら、こんなに働いてきたのに、いつの間にか、日本は世界一の借金国になっています。大銀行も再編され、大企業も再編され、変化に外資に飲み込まれています。そう全ては激変しているのです。一人、教会のみ何らの変化がないなどと夢想してはいけません。


終末の日に教会を襲う激変、変化、大変化は、かねてから、聖書に預言されていることなのです。既に教会を引き回し、大変化を企てている人々は名乗りをあげており、彼らはトランスフオメーション(変革)、パラダイムシフト(軸変換)などとの横文字の下で、「第2の宗教改革に匹敵する変化がこれから教会に起きる」と予言しています。悪霊の第3の波の主導者ピーターワグナーのこの予言はおそらく実現するでしょう。しかし、それは、彼らが神についているから、未来について正しく理解しているからではありません。

彼らの予言が成就する、そのことは、かつて911テロの後、間髪を入れず、「これから、テロとの戦いが起きる。それは何十年にも及ぶ」と予言した怪しい大統領ブッシュの予言と同じ類いのものです。事実、世界は911テロの後、限り無いテロを経験しました。彼のことばどおりです。しかし、何故、あの日、ブッシュはこんな日が来ることをすかさず、述べられたのか?彼には未来予知能力があるのか?

多くの人に「英語の国語力の低さ」をやゆされる傀儡大統領にそんな能力があるはずもなく、事実は彼、ブッシュこそが、テロという名の陰謀の隠れた首謀者の一員と見るのが正しいでしょう。
同じく、これから、大きな変化、恐るべき、みことばの変質、教理の改ざんの嵐がキリスト教会に確かにやってきますが、それを前もって語るピーターワグナーを始めとする悪霊派の面々こそが、この大変化、大冒涜の首謀者であることを知るべきです。

「そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。」

さて、その大地震、すなわちキリスト教会にかつてなかった未曾有の大変革のすえ、教会にどの様な変化が起きるのかを記しているのがこの箇所です。
すなわち、太陽が黒くなり、月が血の様になるという「悪い」変化が起きるのです。太陽、月は、何度も書いているように「天の星のようになる」と預言された、アブラハムの子孫、クリスチャンの中の大きな器、聖徒、指導者達のことです。「太陽...黒くなる」とは、光がなくなる、真理の光がなくなるということでしょう。


変質させられた教会においては、「善を悪」と呼ばれ、「悪を善」と呼び変えられていき、
それは、教会の指導者に及び、かつては正しい光を放っていた聖徒も黒くなり、光を失い、善も真理も失うようになるのです。
このことの前兆はもうすでに色々な形で教会に起きています。たとえば、ことば巧みにクリスチャンを殺人の罪にいざなうカルト系の人々が日本の教会には出現しています。

あの中東、パレスチナで殺人を繰り返している、セム族にしては、色の白い、白人としか思えない人々をユダヤ人と呼ぶこと、「彼らは神の選民なので、彼らが何をしても(殺人、強奪、暴行、虚偽をしても)彼らを支援しなければならない」などとの、どんな悪らつセールスマンでもよういえないような、厚かましいトンでも話を繰り返す、あほたれシオニストが日本の教会にも出現しています。

「健康な牛乳をやめて、この青酸カリを飲みなさい」といったり、「日本産の安全な牛肉をやめて食べれば必ず頭がスポンジ状になり、狂い死ぬ狂牛病肉を食べなさい」などというセールスマンはトンデモセールスマンと呼ばれても仕方がありません。

同じ意味合いで、よりによって「殺すな」という十戒を真面目に守っているクリスチャンを捕まえて、「中東のあの怪し気な民族の殺人に荷担することは、神に祝福されることです」などというトンでも論理をたきつけ、殺人の罪にいざなう、おかしな連中、阿呆たれシオニストは確かに、トンでもセールマン以上の超トンでも系の人々です。

彼らこそ、「悪を善」と呼ぶ、神を冒涜する人々のはしり、もしくは嘘つきユダヤのパシリ、すなわち使い走りです。しかし悲しいかなこれらの殺人擁護を振りかざすトンでも牧師、トンでもテレビ、トンでも雑誌、新聞が、日本のキリスト教会の有力なオピニオンリーダーとなっています。このていたらくは一体何故なのでしょうか?それは、この国のクリスチャンの不信と不忠実のゆえにこのことは神により、許されているのです。私達は神の前に、その歩みをただすべきと思われるのです。

”13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。”

天の星が地上に落ちたとは、良いことをかたっているのではありません。星は本来、天にあるものなのですが、しかし、この時には、天から落とされてしまいました。これはたとえであり、「天の星のようになる」と語られたアブラハムの子孫、クリスチャンに関するたとえです。彼らは本来天の星、すなわち、地に属するものではありません。


しかし終末の日の惑わし、教会の大変化、大転換の中で、倒され、曲げられ、変質させられ、この世に属するものとなる、そのことを言っていると思えます。このことは、もう既に起こっており、教会には、カウンセリング、心理学だのロックミュージックだの方法論、経営論だのあらゆる種類のこの世の方法が持ち込まれており、この世とはあまり変わらないものとなりつつあります。パーパスドリブンチャーチ:訳すと、目的至上主義教会、すなわち人数さえ、増えればこの世の方法オッケー、手段は問わない、教会の根幹、本質を変えることが目的なのか怪し気な教会、トンでも教会も今は大人気です。

「いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。」

さてこのことばですが:
ここでは、いちじくが実を落とすことが書いてあります。この箇所を理解してみましょう。いちじくは、かつて見たように神の民をさします。このテキストは黙示録であり、黙示録は教会の終わりを語るものですから、ここでいういちじくは新約の神の民、クリスチャンをさすことばでしょう。

実は、「御霊の実」に通じると思われます。その観点で考えるなら、いちじくの実を落とすとは、クリスチャンが「御霊の実」を失っていく、すなわち、この世についたもの、天的なものから離れていくことのたとえとも思えます。

上記「大風に揺られて」という箇所の「風」というギリシャ語は以下の「教えの風」と同じ単語が使われています。

”エペソ4:14 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの<風>に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく”

ですから、黙示録でいう「大風で揺られて、実を落とすいちじく」とは、要するに終末の日の怪しい教え、教理に惑わされ、御霊の実を失っていく愚かなクリスチャン達のことをいうと理解できます。はっきりいいます、今はそんな愚かなクリスチャン、自分では賢いように思っていても、愚かにも御霊の実を失うクリスチャンが多いです。

権利やら、不満をいいつのり、気にいらない牧師を取っかえ、ひっかえしている教会も多いと言うことですがそんなとこも、この箇所にあてはまります。彼らはこの世の考え、権利やら、自己主張やらの風に吹かれ、大いに御霊の実を落として、みごとに実なしのいちじく、役立たずになっています。また、何だか、新しい教えにすぐ飛びつき、「教会のカルト化」非難ということで、図にのって、聖書的な教会や、牧師を批判している人々も同じ様なものかもしれません。

”14 天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。”

天が消える、山が移ると書かれているからといって、大変な天変地異が起きるんだなんて勘違いする人もいるかもしれませんが、はやとちりしてはいけません。ここには、文字どおりの天が消えたり、山が移ることなど、決して決して書かれていないのです。何故なら繰り返していうように、黙示録はたとえの書だからです。上記「巻き物」とは以下の「書」と同じ原語のことばです。

ルカ4:17「すると、預言者イザヤの<書>が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。」

ですから、明らかにこの書、巻き物とは聖書のことをさすのです。主イエスの時代、聖書は巻き物に書かれていたから、巻き物とはすなわち、聖書のことをもさすのです。
それで、「天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり」ということばを理解して見ましょう。

天はかつて何度も見たように、天の星、アブラハムの子孫が住むところとして、教会のたとえです。ですから、いわんとしていることは、天、すなわち、教会が変えられ、また特にみことばが、変質させられ、教理が変えられていく日のことをいっているのです。このことは今さかんに行われており、第3の波を始めとするみことばの教理をかいざんする面々が暗躍しています。

「すべての山や島がその場所から移された。」

山や島も教会のたとえと思われます。それらが、移されたことについてここでは書かれています。「移された」ということばを理解するには、旧約の日に神の民が移されたこと、すなわち、バビロン捕囚や、アッシリア捕囚を考える必要があります。

かつての神の民が自分達がいる、約束の地、神の恵みの地から移され、異邦の地、神とはかけはなれた地に移されたように、この黙示録の時代には、全ての山や島、すなわち全ての教会が移され、変質させられてしまうことを預言しているのです。
移されると言っても物理的なことを言っているのではなく、霊的なこと、教理的なこと、信仰的に移されることをいっているのです。

”15 地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、
16 山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。”

「御座にある方..と小羊の怒り」が、不信のクリスチャンに向かってもえあがります。しかし、悲しいこと、残念なことは、彼ら不信のクリスチャンは神が誰を怒っているのか、この方の怒りが誰に対して燃え上がっているのかそれを理解しないことです。彼らが誤解するその理由は何か?

そのことに関しては、「山や岩に向かって...私たちをかくまってくれ。」とのことばがその理由を暗示します。山すなわち、教会が偽りを語り、多くのクリスチャンを偽りのの安心を与えていたから、また、岩すなわち、キリストのしもべを自称する働き人、教師、牧師が、彼ら、行いのともなわない、クリスチャンの罪を指摘せず、むしろ彼らを甘やかし、罪から悔い改めようとしなかったからです。

「山や岩」が彼らをかくまい、擁護し、そして彼らクリスチャンを悔い改めに導くことをしない、それゆえに、神の怒りは彼らに対して燃え上がり、その裁きの時を迎えるようになるのです。そう、教師の罪は大きいのです。

”17 御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」”

終末の日は神の怒りの日であり、その神の怒りは不信と冒涜の神の民に対して燃え上がります。しかし、悲しいかな、今の盲目なクリスチャンは、世の終わりに誰を神が怒り、裁くのかという基本の基本さえ理解していません。

かつての日、旧約の最後の日々、旧約の神の民の冒涜はきわみに達し、彼らは神の一人子さえ、殺害し、その結果、神のさばきに会いました。神の都エルサレムは、最後の一人まで、ローマにより、滅ぼされたのです。
この日の神の民の悲劇は、神の怒りが燃え上がっている、自分達に対して燃え上がっている、そのことを理解できなかったことです。

同じことが再度、繰り返され、新約の神の民は今だに、神の怒りが自分達の不信、悔い改めのない歩みに対して燃え上がっていることを知りません。罪、まとはずれとはまことに彼らのことです。
悲劇は繰り返されようとしています。しかし、これらのことを見る目は見るゆえに幸いであることを知りましょう。

 

終末における主のみこころをおこないましょう。
 

ー以上ー
 
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