NO. 415 ヨセフについて
”テキスト:創世記37:1 ヤコブは、父が一時滞在していた地、カナンの地に住んでいた。
2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、彼の兄たちと羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らといっしょにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。
3 イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。
4 彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。
5 あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。
6 ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。
7 見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」
8 兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。
9 ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」と言った。
10 ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」
11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。
12 その後、兄たちはシェケムで父の羊の群れを飼うために出かけて行った。
13 それで、イスラエルはヨセフに言った。「お前の兄さんたちはシェケムで群れを飼っている。さあ、あの人たちのところに使いに行ってもらいたい。」すると答えた。「はい。まいります。」
14 また言った。「さあ、行って兄さんたちや、羊の群れが無事であるかを見て、そのことを私に知らせに帰って来ておくれ。」こうして彼をヘブロンの谷から使いにやった。それで彼はシェケムに行った。
15 彼が野をさまよっていると、ひとりの人が彼に出会った。その人は尋ねて言った。「何を捜しているのですか。」
16 ヨセフは言った。「私は兄たちを捜しているところです。どこで群れを飼っているか教えてください。」
17 するとその人は言った。「ここから、もう立って行ったはずです。あの人たちが、『ドタンのほうに行こうではないか。』と言っているのを私が聞いたからです。」そこでヨセフは兄たちのあとを追って行き、ドタンで彼らを見つけた。
本日は「ヨセフについて」という題でメッセージします。
旧約の時代、自分の兄弟から売られたヨセフは明らかに新約の日に、銀貨30枚で売られたイエスの型です。そして、このヨセフで代表される
人々がまた、終末の日に現れることをも聖書は預言しているように思えます。
何故そういうかというと、ヨセフの見た太陽と月と星の幻はまた黙示録にも現れてくるからです。ですから、ヨセフの生涯は、主イエスの生涯に関する預言であり、なおかつ、終末の日に現れてくるヨセフの働きをになう人々の型なのです。
このヨセフの生涯を通して学んでいきたいと思います。
順に見ます。
”1 ヤコブは、父が一時滞在していた地、カナンの地に住んでいた。
2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、彼の兄たちと羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らといっしょにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。”
ビルハ、ジルバは奴隷の女のことです。ですから、ここに書かれている、子供は、奴隷の息子のことであり、これは、霊的には、「罪の奴隷」をあらわすものです。
ヨセフは彼等のわるいうわさについて父に告げました。同じく、我々ももし、罪の奴隷となるなら、このことは、「伝えられる」ことを知りましょう。
聖書は、「奴隷は家にいつまでもいない、家を相続しない」ことを語ります。
我々が罪の奴隷となるなら、「主が備えた天の家」に住む、受け継ぐことはないことを
知りましょう。
”3 イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。”
誰よりも父に愛されたヨセフは、「これは私の愛する子である」と父なる神にいわれたイエスの型です。
そでつきの長服とは何だかわかりませんが、服が義に関することをよくさしますので、義をまとうということでしょうか。
”4 彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。”
兄達はヨセフが父に愛されているのを見て、穏やかに話すことはできませんでした。
穏やかに話せないということは、ケンカごしだったり、憎しみを持って話すということでしょうか。
イエスの時代、兄にあたる律法学者や、パリサイ人もやはり彼に対して穏やかに話すことはできませんででした。逆にイエスのことばじりをつかんでやろうとばかり、けんがごしだったのです。
同じ様なことがらは終末に起きると思われ、終末の日、ヨセフの働きをになう人は周りの兄、宗教的な人々からの反対を覚悟しなければなりません。
”5 あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。”
ヨセフの見た夢はまさに正夢であり、その後で実現しました。
他の兄弟の穂が彼の穂を拝むということは実現したのです。
後の日、エジプトの宰相となったヨセフに対して、兄弟達また父も頭を下げて食料をもらう様になりました。正しくこの夢は実現しました。
しかし、兄達はこの夢を憎みまさにこの夢のために、ヨセフは憎しみを買ってしまったのです。
このことは、イエスの時に再現しており、イエスのことを誇大妄想狂と思い込んだ律法学者、
パリサイ人は、彼を告訴し、死に至らせました。以下の箇所は、彼らがイエスを夢見る者、
妄想を抱く冒涜者であると理解していたことを語ります。
”マタイ26:63 しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
64 イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
65 すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。”
さて、世の終わりにもヨセフの使命を帯びた人たちが現れ、それは黙示録12章で「男の子」と書かれた人々なのですが、しかし、彼らも夢見る者達として、回りのクリスチャンから、反感を買うであろうことが予想されます。
しかし、彼らはヨセフの様に正しく未来を見通し、神からの幻、夢を語るでしょう。
”6 ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。
7 見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」
8 兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。”
ヨセフの見た夢は麦の束に関する話です。麦はパンと関係があり、パンはみことばと関係があります。ですから、ここで言われていることは、ヨセフの麦は全ての兄弟の麦に勝るということです。
この夢は正夢になり、父も兄も麦のききんで苦しんでいた時、ヨセフは大豊作で倉を建てたエジプトの宰相となっており、麦がなくて困っている人に麦を売ったのです。そして、彼ら兄弟は彼にひれ伏して麦を売ってもらう願いました。
このことは主イエスの時、再現されました。
その日、主イエスの日、パンではなく、みことばのききんに陥っていた、全イスラエルの人々はこぞって彼の前に行き、彼からの恵みのみことば、命のパンにより養われたのです。
さて、さらにこのことは、終末の日、ヨセフの使命を帯びて現れる男の子において再現されるでしょう。
彼らを通して、人々を養うパンが与えられ、彼らの麦の束は、他の束にまさるでしょう。
しかし、そうであっても兄、すなわち、その時代の教会の権威からは、憎まれる様になるでしょう。「こうして彼らは(兄達は)、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。」
と書かれている通りです。
”9 ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」と言った。
10 ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」”
さて、さらにヨセフは夢を見ました。
今度は、星、月、太陽に関する夢です。
この夢の意味あいは何でしょう?
星は、光を与える存在、世を照らす存在としての神の民のたとえでしょう。
暗い夜に光る星が、地上を照らす様に、世や教会は、星であるクリスチャンを通して、光を与えられるからです。
主イエスは「私は世の光です」と言われた様に、光御自身であり、この方を通して、我々は光を与えられたのです。啓示の光は与えられ、示唆は与えられたのです。
さてこのことは終末において、ヨセフの使命を負う人々により再現されます。
何故なら、以下の様に、黙示録において、ヨセフの夢とそっくりな幻が再現されているからです。
”黙示録12:1 また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。
2 この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。
3 また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。
4 その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。
5 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。”
この男の子こそ、ヨセフの使命をになう終末の働き人と理解できるからです。
この男の子を通して、終末の日に啓示の光が現れることが期待できそうです。
そして、その啓示は、太陽や月、すなわち、信仰の先祖からのもの、また12の星、すなわち、自分の兄弟のものにまさるでしょう。
かつての日、「太陽と月と十一の星が」ヨセフを拝んだ様に、その日、この終末の男の子の啓示は多くの人がうらやむもの、近寄り、拝する物となるのでしょう。
”11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。”
しかし、この星、太陽、月の幻はヨセフの兄達をねたませ、彼に良い感情をもたらさなかったのです。
同じく、終末のヨセフの働きをになう人々もその「光」のゆえに、教会の権威、指導者から、
ねたまれるものとなるのでしょう。
”12 その後、兄たちはシェケムで父の羊の群れを飼うために出かけて行った。
13 それで、イスラエルはヨセフに言った。「お前の兄さんたちはシェケムで群れを飼っている。さあ、あの人たちのところに使いに行ってもらいたい。」すると答えた。「はい。まいります。」
14 また言った。「さあ、行って兄さんたちや、羊の群れが無事であるかを見て、そのことを私に知らせに帰って来ておくれ。」こうして彼をヘブロンの谷から使いにやった。それで彼はシェケムに行った。
15 彼が野をさまよっていると、ひとりの人が彼に出会った。その人は尋ねて言った。「何を捜してい
るのですか。」
16 ヨセフは言った。「私は兄たちを捜しているところです。どこで群れを飼っているか教えてください。」
17 するとその人は言った。「ここから、もう立って行ったはずです。あの人たちが、『ドタンのほうに行こうではないか。』と言っているのを私が聞いたからです。」そこでヨセフは兄たちのあとを追って行き、ドタンで彼らを見つけた。”
ヨセフは父の命を受け、その命令に従い、使いに行ったのです。しかし、その結果は、兄達の憎しみをかい、ほらあなに投げ込まれ、エジプトへ売られてしまいました。
これは、父なる神の命を受け、この世に下り、父なる神のことばを伝えに来たのに、その結果は祭司長達のねたみと憎しみを買い、あげくには、殺され、ほらあなに葬られた主イエスの予表です。
終末の日にも父なる神の命を受け、使いとして来る人々がいるのですが、彼等もろくな目に会わないでしょう。
本日はここまで、後は「ヨセフについて 」(2)に続きます。
終末における主のみこころを行いましょう。
ー以上ー