終末の悪霊の教え、惑わしの主たる方法は、神の民に対して神のことばを捨て去らせること。

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No.219  悪霊の教え


テキスト:”第1テモテ4:1-9:1 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。
2 それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、
3 結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。
4 神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。
5 神のことばと祈りとによって、聖められるからです。
6 これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたはキリスト・イエスのりっぱな奉仕者になります。信仰のことばと、あなたが従って来た良い教えのことばとによって養われているからです。
7 俗悪な、年寄り女がするような空想話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分を鍛練しなさい。
8 肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。
9 このことば(ロゴス)は、真実であり、そのまま受け入れるに値することばです。”

 

本日は、「悪霊の教え」という題でメッセージします。
終末の日になると「悪霊の教え」がはびこることについて見ていきたいと思います。

終末の日に悪霊の教えが起きてくることは、はっきりとテモテの手紙に明記してあることがらです。
そうである以上、このことは、終末の日になるならば、必ずキリスト教会に起きて来ることがらです。
これを見ていきたいと思います。

テキストを順に見ていきます。

”1 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。”

ここで後の時代、すなわち、終末の時代になると、(教会の)ある人達は、「惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ」てくると書かれています。ですから、もし私達の今生きているこの時代が終末の時代なら、これらの「悪霊の教え」は、必ず、教会に入ってくるはずです。そして、教会の人々の内のいくらか、もしくは、多くの人々はその霊や教えに惑わされていくはずです。

「そんなばかな」と思うかもしれませんが、聖書がそういっている以上、このことは、やはり教会に起きてくると思われます。そのような目で見るならば、そういえば、今の教会にはおかしな教えがたくさんあります。
「血の涙を流すマリヤ」などは、悪霊の働きとしか思えませんし、人間が馬や猿や、鳥のようになってしまう「獣のリバイバルも、悪霊の働きと思えます。

また、角笛によれば、キリストが二度に渡って、再臨するといういわゆる「2段階携挙説」は、マーガレットマグドナルドという霊媒が見た「艱難時代の前に来て、クリスチャンを携挙するキリスト」という幻が基になっています。霊媒とは、「死人と語る者」であり、聖書では、厳に禁止されていることがらです。この説が広がって以来、終末の備えをしようとするクリスチャンの数は急速に減りました。
自分が艱難の前に挙げられるのに、自分が経験しない「艱難時代」のために熱心に備える人など、いなくなるわけです。
ですから、この一事、「終末の為のクリスチャンの備えを奪い去った」という一事を見るだけでも、この教えが、悪霊から来ている可能性が高いことがわかります。

「ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。」と書かれている通りです。彼らは確かにこの悪霊の教えにより、「再臨」に関する信仰から「信仰から離れるようになり」ました。"2 それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、"この文は、KJVによれば、「(彼らは)偽善の中で、嘘をつくようになる」と訳されています。
すなわち、終末の日に、クリスチャンが、偽善に陥り、そのため、真理と懸け離れた嘘を話すようになるということをいっているのです。

例えば、ローマ法皇のいう「進化論も正しい」などという言葉は、裏返せば、「創世記は嘘である、神話である、神は嘘つきである」というとんでもない話につながるクリスチャンにあるまじき、発言なのです。しかし、偽善者であり、結果として、神からの真理の御霊と遠く離れている人々は、この嘘、偽りを見抜く目をもっていません。そのため、人々は、このようなよた話に巻き込まれ、「それもそうだ」「進化論は聖書と矛盾していない」などというわけのわからない「嘘を(平気で)つくように」なるのです。

”3 結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。”

聖書でいう結婚という言葉は、「キリストと教会、クリスチャンとの関係」に関連して語られることが多いようです。ですから、「結婚することを禁じたり」とは、「クリスチャンとキリストとの関係を絶つ」ことに関係するたとえといえるでしょう。確かに、終末の多くの教えは「キリストとクリスチャンとの関係」を絶つのに用いられています。

例えば、「マリヤ礼拝」がそうです。「神の母」「無原罪」ということで、マリヤに祈ることは良いことのように見えますが、実際は違います。マリヤに祈る人々は、実は真に頼るべき方、キリストに祈らず、彼から離れていくのです。
ですから、マリヤを公認したり、奨励したりする人々は実は、キリストとの「結婚を禁じる」人々なのです。そして、ここで、書かれている「結婚することを禁じたり」とは、まさにこのようなことがらをさすのです。せっかく教会へ来ながら、よく予言が外れるマリヤや血を流すマリヤの像や、「フアテイマ」等のマリヤを拝する人々は、神ならぬ「悪霊」を拝んでいることを知るべきです。

さらに、「食物を断つことを命じたりします」と書かれています。
これは何を意味するものでしょう。勿論、このことばは、第一義的には、バンや、スープ等のいわゆる「食物」をさすのでしょう。しかしそれとともに、たとえの意味あいがあると思われます。
食物とは、すなわち、食べることに関係したことばであり、すなわち、パン、聖書のことばに関することがらをあらわしていると思えます。
すなわち、神のパン、真理のことばを絶つことが終末の日に命じられるというのです。
このことは、実はもうすでに起きています。ある人々は、「創世記は神話だ」「パウロの時代には、文献学が進んでいなかったので、聖書を文字どおり受け取ったりしていたのだろうが、現代の我々はそんなに簡単に旧約聖書の記述をうのみにするわけにはいかない」などとみことばへの信仰を疑わせることを言っています。
このように「知恵と知識のある人々」は、人々に創世記を始めとする
聖書の記述をそのまま受けることを実質的に「禁止」しています。このような人々こそ、命のパン、すなわち神のことばに対して、「食物を断つことを命じたり」する人々なのです。

しかし、これらの教え、考えは、「悪霊」から出ていると聖書は述べています。
進化論も要は、神を認めたく無い「悪霊」から来た、教えであり、こんな教えをさして、「科学的なので、否定するわけにはいかない。」「進化論と聖書の記述は矛盾しない(?)」などとわけのわからない理屈をこねている人は、自分がすっかり悪霊の道具になっていることを知るべきです。

この食物なる神のことばに対して、聖書はこう述べています。

”しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。”

真理を知らない、悪霊の教えも神の教えも区別できない人々はともかく、この食物なる「神のことば」は、「真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物」なのです。

”4 神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。”

終末の悪霊の教え、惑わしの主たる方法は、この神のことばを捨てることです。みことばに対して、「あの部分は不要だ」「この部分は歴史的に確認ができていないから、省くべきだ」「この記述は、他の文献学的学びからいうと信頼できない」などと色々理屈をつけて、神のことばを「捨てる」ことを奨励します。
戦後、特にこの聖書の翻訳において、変更が激しく、すでに1万箇所以上が、変更、削除されているということです。また、聖書の記述そのものが削除されないとしても、「創世記は神話だ」といわれれば、誰も、まともにその記述を学ぼうとしなくなるでしょう。

このように悪霊は、ある種の人々を用いて、食物である、神のことばを「捨てさせる」のです。しかし、神のことばはどう語っているでしょう。
「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。」
ですから、こんな、悪霊の惑わしに乗って、いのちのことばを捨て去ってはいけないのです。

”6 これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたはキリスト・イエスのりっぱな奉仕者になります。信仰のことばと、あなたが従って来た良い教えのことばとによって養われているからです。”

「これらのこと」とは、要は悪霊のもっともらしい議論や、理屈にだまされて「神の食物」みことばを捨て去ったりしないことです。そうするなら、「あなたはキリスト・イエスのりっぱな奉仕者になります」と書かれています。しかし、残念ながら、今の時代、神のことばを省いたり、否定したりする「裏切り」に加担する教師達がいかに多いことでしょうか。

”7 俗悪な、年寄り女がするような空想話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分を鍛練しなさい。”

女は教会のたとえです。教会も年を経て、「年寄り女」になると、俗悪な空想話をするようになります。
「キリストが二回来る」という教えも聖書と矛盾する空想話ですし、「地獄はない」などというのも、
「こうあったらいいな」という、ただの「空想話」です。これらは避けなければなりません。

”9 このことば(ロゴス)は、真実であり、そのまま受け入れるに値することばです。”

さて。上記の一連の「神のことば」に関する記述に関連して、最後にまた、「このことば(ロゴス)は、真実であり」と語られていることに目をとめて下さい。
ですから、繰り返すようですが、終末の日にねらわれるのは、「神のことば」聖書の記述であり、ここに敵の攻撃が集中するのです。

ここで使用されている「ことば」に関する原語は、「ロゴス」であり、ヨハネ伝で「ことばは神である」とキリストに関して使われている用語と全く同じことばなのです。このキリスト御自身である神のことばに関してここで、「このことば(ロゴス)は、真実であり、そのまま受け入れるに値することばです。」と書かれているのです。

多くの終末の教え、惑わしは、このことばを割り引いたり、「非科学的だ」「神話だ」などと、あらゆる方法で、信頼させないように働いてきます。そのような惑わしの教えについていかないように、「このことば(ロゴス)は、真実であ」ること、「そのまま受け入れるに値することば」であることが語られているのです。

 

終末における主のみこころを行いましょう。

 

ー以上ー

 

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