「麦と毒麦のたとえ」は、世の終わりに大きな収穫、大リバイバルがあることを語っている。

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No.201 天下分け目のリバイバル

”テキスト:マタイ13:24 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
25 ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。
26 麦が芽生え、やがて実ったとき、毒麦も現われた。
27 それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』
28 主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』
29 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。
30 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』
34 イエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話され、たとえを使わずには何もお話しにならなかった。
35 それは、預言者を通して言われた事が成就するためであった。「わたしはたとえ話をもって口を開き、世の初めから隠されていることどもを物語ろう。」
36 それから、イエスは群衆と別れて家にはいられた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください。」と言った。
37 イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。
38 畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。
39 毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。
40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。
41 人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、
42 火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
43 そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。”

本日は「天下分け目のリバイバルという題でメッセージをします。
世に言う「天下分け目の戦い」という戦いがあります。関ヶ原の戦いがそうでした。この時、それぞれの武将がどちらの側についたかどうかで、また子々孫々まで、影響がありました。徳川方についた武将は、親しく遇され、逆に反対側についた武将は徳川300年の終わりまで、「外様」ということで、冷遇されるようになったものです。

さて、聖書の中で、クリスチャンにとり歴史上、ただ一度「天下分け目のリバイバルがあることを聖書は語ります。その時、我々がどう神のことばと聖霊の声に対応するかで、永遠にわたる大きな区分ができることを語っているのです。これは関ヶ原どころではない、まさに「天下分け目の戦い」なのです。

さて、上記「麦と毒麦のたとえ」がその箇所です。この箇所は世の終わりには大きな収穫、すなわち、大リバイバルがあることを語っています。その時、真に神の声を聞いていく人は倉に納められます。しかし、神の声に聞き従わず、聖書を曲げる人たちは、リバイバルならぬ悪霊の火に巻き込まれていきます。

 

ここを順に見ていきましょう。 

”24 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。”

種はその前の「種まきのたとえ」で書かれているように、「みことば」をさします。
ある人とは、キリストです。彼は「よい麦」すなわち、良いことばに聞き従う、み国の子らをまきました。ですから、聖書のことばは、基本的に良いものなのです。これを食べ、行っていく時、良い麦良いクリスチャンが育つようになっているのです。

”25 ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。”

「眠っている間に」と書かれています。ですから、サタンは我々がきづかないうちに教会の中に、毒麦、すなわち、「誤った教え」「教理」を受け入れる人々を入れていくのです。これは、「そんなことは教会にはありえない」「いやあり得る」などという議論の問題ではありません。これは教会に対する予言であり、そして、このようにキリストが言われた以上、やはり教会の歴史の中で成就していくのです。

かつて、すばらしい楽園のように見えたエデンの園のまん中に突然、敵、サタンが現れ、
神のことばを疑わせるようなことば、教えをエバにささやきました。これはあり得るべきではありませんが、しかし、実際に起きたことです。いるべきではない悪魔がエデンの園のまんなかに現れているのです。同じように敵が教会の中に良い麦と似てはいるが、実際は、食べると死に至る「毒麦」をまくことは、許されており、そしてそれは実際に起きるのです。

”26 麦が芽生え、やがて実ったとき、毒麦も現われた。”

麦はクリスチャンをさすたとえです。クリスチャンをさすたとえは、羊、牛、ぶどう、魚、星等色々あります。羊は「羊飼いにより養われる存在」としてのクリスチャンの一面をあらわすたとえです。
麦は「種」すなわち、「神のみことば」を食べることにより、成長するという面をさすクリスチャンのたとえです。医食同元ということばがあります。食べることが健康に及ぼす影響について語っているのです。
おなじように我々クリスチャンがどのように育つかは、我々が食べるパン、聖書の教理により、異なります。そして、敵はこの中に毒麦、偽りの教理をまきました。それを聞いて育ったクリスチャンの中に、毒麦、曲がった教理と教えに満ちたクリスチャン達が育ってきたのです。

今、聖書に記されているイエスのことばは、かつてイエスがいったそのままのことばだとは限らないなどと曲がったことをいう人々。また聖書から、自分が信じられない復活やら、いやしやら、奇跡を抜きにして信じようなどと、ねぼけたことをいっている人々はまさしく、りっぱに育った毒麦です。

”27 それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』”

良い麦を神が蒔いたのに、毒麦が出るのは、不思議です。同じように神が聖書により、「良いことば」をまいたのに、教会内に「毒麦」が生えいでてくるという考えは普通のクリスチャンの理解を超えるようです。しかし、このことは聖書に記載されており、必ず教会内に起きてくるのです。

”28 主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』”

これは、敵のしわざです。楽しかるべきエデンの園に神のことばを偽るサタンが入り込むことが許されているように、教会の中に敵の麦が入り込むことは許されています。
その中で、毒麦に惑わされない人々は永遠の命を得るでしょう。しかし、惑わされたり、自分自身が毒麦の教理を受け入れていくなら、その命から外されます。
蛇にだまされたアダム、エバ「命の木」からは、遠ざけられてしまったことを思い出さなければなりません。これは、蛇に惑わされた結果命を失う人々の型です。

”29 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。”

麦と毒麦の区分はむづかしいようです。

”30 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』”

収穫の時期まで、麦と毒麦の、この区分は行なわれません。イスラエルにおいては、日本と同じように1年に一度収穫の時期があります。同じように教会時代に一度だけ、収穫の時期といわれる、大リバイバルの時があることを聖書は語ります。そして、その時こそが麦と毒麦の区分の時なのです。
そうです、この時が「天下分け目の区分の時」なのです。

”34 イエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話され、たとえを使わずには何もお話しにならなかった。”

主はたとえで語られました。度々繰り返すようですが、聖書のたとえを理解することは、今の時代、終末の時代にはとても大事です。何故なら、終末に関する多くの知識はたとえの中に隠されているからです。

”35 それは、預言者を通して言われた事が成就するためであった。「わたしはたとえ話をもって口を開き、世の初めから隠されていることどもを物語ろう。」”

終末に限らず、私達クリスチャンにとって必要なことは、皆聖書に書かれています。しかし、悲しいかな、私達は盲目であり、この書物に何が書いてあるのか、読めないのです。これがこの時代の悲劇です。
「その日悲惨なのは、乳飲み子を持つ女と身重の女」とはこのことをさすのです。女は教会のたとえであり、彼女達には乳が必要とする子供しかいません。乳はヘブル書によれば、堅い食物なるたとえを理解できない信者の食物です。たとえを理解しない牧師、信者しかいない教会は、盲目であり、その結果、「終末の日」を無事に過ぎ超すことができないのです。それは「悲惨」です。

”36 それから、イエスは群衆と別れて家にはいられた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください。」と言った。”

ここで、弟子達はたとえの意味あいをイエスに聞き、そして正しい答えを得ました。たとえを語られたのはイエスなのですから、当然、イエスに聞けば正しい答えが返ってくるのです。このことは、当たり前のことなのですが、今の時代、私達はあまりわかってはいません。イエスに聞くより、牧師や働き人、神学書に聞く人が多いようです。しかし、正しい答えはイエスから来ることを忘れてはいけません。

”37 イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。”

人の子はイエスであり、イエスが当初、播かれた種はどれも良い種でした。

”38 畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。”

当初は、良い種だけがまかれました。ですから、教会の始めには、教会はみ国のこどもだけだったのです。しかし、後に教会に悪い者、悪魔の子供たちが現れてきます。

”39 毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。”

収穫と毒麦が火で焼かれることはこの世の終わりに起こります。さて、この世の終わり,end of this world, ということばを考えてみましょう。一つはっきりしなければならないことは、この世の終わりという以上、来世のこと、天国や地獄のことをいっているのではないということです。たとえば、昭和時代の終わりに天皇陛下が亡くなられた、という時、次ぎの時代の平成のことではなく、昭和時代の終わりをさします。同じように、この世の終わりという時、来世ではなく、我々が今生きているこの一つづきの時代のその終わり頃について、語っているのです。ですから、もし万一、我々が最後の世代なら、このことがら、すなわち毒麦が燃えることを見るようになるはずなのです。

”40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。”

ですから、このこと、毒麦が集められ、火で焼かれるということは、世の終わり、終末という時期に我々が入ったなら、目の前で見ることができることなのです。そのようになるのです。火ということばにも、たとえが使われていることを知るべきです。火や水は霊のたとえです。そして、ここでいう、霊は当然、聖霊ではなく、悪霊をさすのでしょう。ですから、毒麦、すなわち悪魔のそそのかした聖書解釈を受け入れ、真理のみことばを投げ捨てる人々はこの悪霊のリバイバル集会へと集められ、この悪霊の火で燃やされるようになります。”毒麦が集められて火で焼かれるように”と書かれている通りです。

”41 人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、
42 火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。”

ですから、終末の日に神のみことばの真理に堅く立たないクリスチャンは「御国から取り集めて」すなわち、真の教会から取り出され、
「火の燃える炉に投げ込みます」すなわち、悪霊のリバイバルの中へ惑わされて巻き込まれていくのです。
彼らは「自分達はすばらしい集会へ導かれた」と思っているでしょうが、実は終末の惑わしに入っており、そこに集められ、巻き込まれてしまったのです。ミカヤの時、アハブを惑わす霊が400人の預言者の口を通してあたかも一つの口のように偽りを語ったように、今の時代も多くの教師がこのリバイバルのことを語ります。彼らはみな、一つの惑わしの霊の下にあるのです。

一体誰が、「つまずきを与える者や不法を行なう者たち」かは、人にはわかりません。これは、人が判断することではないからです。まして、私にはわかりません。しかし、一つはっきりしていることは、神が「つまずきを与える者や不法を行なう者たち」と判断したなら、この火の中に巻き込まれていくということです。そうです、私達は本当に主を恐れなければなりません。私達の愚かな目を開いてくれるのは一に神が開いてくれるかどうかにかかっているからです。すでに裁きは神の家から始まっています。主のあわれみをもとめなければ、なりません。 

”43 そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。”

「耳のある者は聞きなさい。」と書かれています。このことばは、黙示録では、「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」と書かれています。しかも7回も繰り返して書かれています。ページ数にして、ほんの2-30ページに過ぎない黙示録の中で、7回も繰り返して書かれていることはこのこと、「御霊が諸教会に言われることを聞」くことが非常に大事なことであることをしめしています。そうです、終末の日に聖霊の声に聞き従うことに意味があるのです。そのような人こそ、終末の惑わしから免れるのです。

 

終末における主のみこころを行っていきましょう。

 

ー以上ー

 

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