終末には神のことばのゆえの迫害がある

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通算No.139 神のことばのゆえに


テキスト: ヨハネの黙示録 6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。”

 

本日は「神のことばのゆえに」という題で、メッセージします。テキストの箇所を見ると、黙示録の時代には、<神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺され>る人々がいることがわかります。これらの人はどのような人々なのでしょうか。それを見ていきたいと思います。

初めに知らなければならないことがあります。それは、黙示録、そして、終末の預言はわなのようなものだということです。多くの人が、そのわなにかかると記されています。これらの預言は間違えやすいように書かれているのです。ですから、これらのことばは神の知恵と啓示の霊によって初めて正しくときあかすことができるのです。

 

さて、テキストの殉教者達の記述と似た表現が同じ黙示録にあります。それは以下の箇所です。

 

ヨハネの黙示録 12:7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、


8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。


9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。


10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。


11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。


12 それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」


17 すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。”

 

この箇所は上記箇所を解く鍵となります。この箇所を順に見ていきたいと思います。

 

”7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、

 

8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。”

 

天ということばも地ということばもたとえです。黙示録はたとえの書です。我々クリスチャンはキリストと共に”天に座せしめられ”ている者です。ですから、これは、キリスト教会における出来事を語っているのです。

神のことばのゆえに殉教するときけば、彼等を殺す人々はまったく聖書など読んだことのない未信者の人々のように見えます。確かにそう見えるのですが、しかし、そこが実は「わな」なのです。これらのことばは実は、聖書を読む神の民による迫害を記したものなのです。

 

今、キリスト教会では、例えば、カリスマ、反カリスマというように、内部で争い、論争が起きつつありますが、これらはいつか霊的に決着がつく日がきます。それが、ここでいう、”竜とその使いたちは応戦したが、8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。”という日です。

 

”9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。”

 

一体この戦いとは何をさすのでしょうか。それを解く鍵はここで言われている”全世界を惑わす、あの古い蛇”という表現です。”あの古い蛇”<あの>という代名詞はこの蛇が以前から存在している何か特定の蛇であることをさします。この蛇とはどの蛇でしょう。これは他でもない、エデンの園でアダムとエバを惑わしたあの蛇です。

ですから、この黙示録の蛇、そしてこの黙示録の記述を理解するためには、創世記の記述に戻らなければなりません。そうでないと私的解釈(そのことばのみから解釈する)の危険に陥ります。

 

エデンの園における蛇の役割とは何でしょう。彼は神のことばを曲げ、偽る働きをなし、そして、永遠の命に入るはずだったアダム、エバを死に追いやったのです。これが蛇のわざです。

彼はどのようにして神のことばを偽るでしょう。一見してもわからないような偽りをなすのです。偽一万円札は本物の一万円札にそっくりにつくられます。同じように蛇の偽りも本物のように見えます。しかし、だまされるものは永遠の命を受け継ぎません。

 

この蛇の働きはエデンの園で終わったわけではなく、逆に神の民の間で、ますます働きを広げ、巧妙になっています。彼が<全世界を惑わす、あの古い蛇>とわれるゆえんです。

この蛇の働きは具体的にはどのような方法で我々を惑わすのでしょう。これはすなわち、”神のことば”の働き人を通してなされます。以下の主イエスのことばに同じ<蛇>ということばが出てくるのを見て下さい。

 

”マタイ23:31 こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。


32 あなたがたも先祖の罪の目盛りの不足分を満たしなさい。


33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。


34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。”

 

さて、このイエスのことばの中に”神のことばのゆえに”する人々のことが出てきます。すなわち、”34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し”と書いてある通りです。ところで何故、律法学者、パリサイ人は彼等を殺すようなことになったのでしょう。彼等はともに同じ神のみことば、聖書を読む者同士ではないのですか、同じ唯一の神を信じる者同士ではないのでしょうか。何故でしょう。

 

その答えがこの<蛇、まむし>ということばです。律法学者、パリサイ人は神のことばを受けながら、それを空しいものにかえ、また変形してしまったのです。そして、それを指摘し、正しくみことばを語った預言者、知者、律法学者”たちを迫害、殺害するのです。ですから、殉教者は”神のことばのゆえに”殉教するのです。また、主イエスご自身の死の一面もそうなのです。主イエスは神の正しい真理を語ったために、律法学者、パリサイ人により、異端視され、迫害され、殉教するのです。

ですから、私たちは蛇との働きとは何を意味するものなのかをよく知らなければなりません。

黙示録に戻ります。

 

”10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。”

 

終末には、この蛇が”兄弟たちを告発し、日夜彼らを私たちの神の御前で訴える”ことがわかります。偽りの教えに立つ人々が本物、すなわち真理に立つ人々を攻撃するのです。

終末の時代には、主の宮が回復されることが預言されています。また、バプテスマのヨハネの働きがあり、主の道が備えられ、その道がまっすぐにされることが預言されています。これらは、教会の回復であり、また、曲げられていた、多くの真理、そして、みことばの真理の回復の預言です。これらの兄弟は回復のわざをなすのでしょう。しかし、彼等はおそらく、伝統的な人々からは聞いたこともないことをいう、異端だと非難されるのでしょう。しかしながら、このみことばの真理の回復ということがらは聖書が以前から終末の日に起きることであると預言していたものなのです。

 

ですから、私たちが終末の日に神のみことばの真理に固く立つつもりなら、これらの蛇の告発、日夜の訴えを覚悟しなければなりません。

 

”11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。”

 

真理に立つ人々の多くは殉教します。さて、ここで注目することがあります。この黙示録の箇所では、ことさらのように<兄弟たち>ということばが使われていることです。この言葉はこれらの人々がどのような人々かを解く鍵です。このことに関してヒントがあります。この黙示録には他にも兄弟ということばが使われている箇所があります。

 

”黙3:7 また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。


8 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。


9 見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。


10 あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。”

 

このフィラデルフィヤということばは兄弟愛という意味です。ここに兄弟ということばが含まれています。さて、この教会に関する記述を見ると一つ気付くことがあります。それは、この教会に関するいくつかのみことばは上記黙12章の兄弟達に関するみことばととても似ているということです。例えば、以下のようです。

 

1)黙12章:”兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。”

 

2)フィラデルフィヤ:”なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。”

 

彼等は神のことばの真理を守った教会であることがわかります。また、この箇所にも「あの古い蛇」に相当することばが使われています。それは、以下の「ユダヤ人」ということばです。以下のそれぞれの文章もよく見ると似ていないでしょうか。

 

1)黙12章:9 ”こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。”

 

2)フイラデルフィヤ:”9 見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。”

 

”サタンの会衆”とは、別に悪魔崇拝の人々のことではありません。イエスの時代に、会衆に神のことばを取り次ぐべき律法学者、パリサイ人が、逆にサタン、蛇に用いられてしまいました。終末にも同じ立場の人々がサタンに用いられます。そのことを言っているのです。また、ユダヤ人は、神の民をさすたとえのことばであり、今の時代でいえば、クリスチャンをさすと思われます。また、「うそを言っている者たち」と書いてあります。これはどういう意味なのでしょう。この「うそ」ということばは以下の「偽る」ということばと同じ原語です。

 

ヤコブの手紙 3:14 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。”

 

ここでは「真理に逆らって偽る」というように使われています。ですから、この「うそを言っているユダヤ人」とは、「(真理に逆らって)偽っているユダヤ人」であることがわかります。すなわち、神の真理を曲げる者達のことなのです。

”見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。”と書いてあります。正しく神のみことばの真理に立つ人々が勝利を得る日がきます。ですから、この立場に立つ人々は今、起きる多少のことでへこたれてはいけません。このことばは以下の言葉と同じことを表わすと思えます。

 

”彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。”

 

また、以下のことばもそれぞれ対応しているように思えます。

1)黙12章: ”私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。


11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。”

 

2)フイラデルプィヤ:”10 あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。”

 

フイラデルプィヤの兄弟達は何を忍耐したのでしょうか。それは、”兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者”サタンなる蛇、そしてその使い、すなわち蛇に用いられているユダヤ人(クリスチャン)の攻撃、中傷、非難に対して忍耐したのです。彼等は異端、悪霊つきと非難されるのでしょう。

さらに、”地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練”ということばに注目して下さい。
これは、”彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。”ということばと関連しています。誰が終末の日に裁きにあうでしょうか。それは、地上に住む者達です。彼等はかつての住まいである天から、地上に投げ落とされた者達なのです。彼等は別のことばでいえば、淫婦バビロンであり、長子の特権を売ったエサウです。また、蛇の惑わしの中で、神の真のしもべを迫害する者達なのです。

 

しかし、フイラデルフィヤの教会に対しては、”全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。”と書いてあります。黙示録の7つの教会の中で、終末に存在するのは、4つの教会だけです。そして、教会全体として、この試練(患難)の時から守られる約束を受けているのはフィラデルフィヤの教会だけです。他の教会に関しては少数の勝利者は別として、その時には裁きにあうことが啓示、暗示されています。 

 

ですから、終末の時代において神のみこころはフィラデルフィヤの立場であることがわかります。フィラデルフィヤ(兄弟愛)の立場とはどのようなものでしょう。それは、兄弟の立場であり、それは以下のことばで表わされるものです。

”兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。”

”なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。”

すなわち、蛇、サタン、サタンの会衆、ユダヤ人と自称しながら、(真理でなく)偽りを言う者達に対抗する業であり、神のみことばの真理に立つ立場です。

 

”12 それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」”

 

この時、キリスト教会にはっきりとした区分がなされることがわかります。
すなわち、”天とその中に住む者たち”と、”地”に住むものです。地に住む者には災いがきます。

 

”17 すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。”

 

女の子孫は男の子であり、彼は殉教者です。しかし、患難時代にはイエスの再臨まで生き残る人々もいます。これが、”女の子孫の残りの者、”です。また、”神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たち”と書いてあります。終末の戦いはまさにこのことに関する戦いであることを見ていきたいと思います。

 

終末におけるみこころを行いたいと思います。
 

ー以上ー

 

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