終末の時、神の民はつまずきの石につまずく

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通算NO.137 つまづきの石


テキスト: ”1ペテロ2;6 なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」


7 したがって、より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった。」のであって、


8 「つまずきの石、妨げの岩。」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。”

 

本日は「つまづきの石」という題でメッセージします。聖書には、主イエスはつまづきの石であることが書かれていますが、その意味を見ていきたいと思うのです。

テキストには、「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」と書いてあります。

 

<礎石>

まず、”選ばれた石、尊い礎石”という意味を見てみましょう。これはどういう意味あいのことばなのでしょうか。

これは、あまり難しくないことです。礎石とは家や建物を作る時の土台の石のことです。教会は神の家、宮、また神の都ですが、その礎石はイエス、キリストなのです。初代教会の時代、ペンテコステの時は神の家、宮、都が建てられた時ですが、その時の礎石、かしら石はイエスキリストだったのです。

さて、このことは一つのことですが、終末の時代に入っていく私たちはもう一つのことを見ていかなければなりません。それは、<終末のかしら石>のことです。

エスの時代に起きたことは、もちろんそれ自体意味のあることですが、しかしそれとともにこれは、終末の時代におきて来ることの型である場合が多いのです。すなわち、ペンテコステの時は大収穫の時の型であり、主イエスの殉教(十字架の死)は終末に起きる殉教の型なのです。

 

主イエスの時に、神の宮は建てられました。そして、主イエスご自身がそのかしら石なのです。そして、長い時間を経て、終末の時にはこの神の宮は再建されます。エズラ、ネヘミヤ記で預言されているように、その時に宮は再建されるのです。そして、その時、同じように<かしら石>と呼ばれる人々が現われます。以下の聖書の預言の通りです。

 

1)”ゼカリヤ4;7 大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」”

 

2)”ゼカリヤ書 10:3、4
3わたしの怒りは羊飼いたちに向かって燃える。わたしは雄やぎを罰しよう。万軍の主はご自分の群れであるユダの家を訪れ、彼らを戦場のすばらしい馬のようにされる。


4 この群れからかしら石が、この群れから鉄のくいが、この群れからいくさ弓が、この群れからすべての指揮者が、ともどもに出て来る。” 

 

ゼカリヤ書は終末について語っており、<2人の油注がれた者>について預言しています。これらの2人は黙示録11章に出てくる2人の預言者のことをさしています。彼等は2つの燭台であり、それは2つの教会、すなわち神のみこころを行う2種類の神の民をさします。

ですから、終末にも神の宮の礎石となるはたらきをする人々が出てくることがわかるのです。
 

<つまづきの石>
さて、上記テキストの”「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった。」”ということばを見ていきましょう。<家を建てる者>とは誰をさすことばでしょう。これは神の家を建てる者たち、すなわち、神の民の中心的な人々です。すなわち、イエスは神の前には<礎の石>であっても、神の民の中心的な人々、祭司長、パリサイ人からは捨てられたことをさすのです。

 

さて、このことは終末にも起きてくることを知らなければなりません。終末の時代の<かしら石>も家を建てる者たち、すなわちキリスト教会の中心的な人々からは捨てられるのです。このことを知らなければなりません。

また、「つまずきの石、妨げの岩。」と書いてあります。このことを考えてみましょう。主イエスの時代、人々がどのようにイエスにつまづいたのかを考えてみましょう。それは一言でいえば、「みごとにつまづいた」のです。祭司長、律法学者、パリサイ人、そして多くのユダヤ人、これらの人々がみごとにつまづいてしまったのです。

 

そして、このことは終末にも起きます。多くのキリスト教の中心的な人々、神学者、クリスチャン達がこぞって<かしら石>を非難、攻撃する日がきます。彼等もみごとにつまづくのでしょう。彼等は何故つまづくのでしょう。テキストにこう書かれています。

”彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。”

終末の時代の神の民の区分は神のみことばを行う人と、行わない人との間に起きます。みことばを行わない人々はこの石につまづきます。

さて、このつまづきの石に関してはイザヤ書の中で以下のように預言されています。

 

”イザヤ8;11 まことに主は強い御手をもって私を捕え、私にこう仰せられた。この民の道に歩まないよう、私を戒めて仰せられた。


12 「この民が謀反と呼ぶことをみな、謀反と呼ぶな。この民の恐れるものを恐れるな。おののくな。


13 万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。


14 そうすれば、この方が聖所となられる。しかし、イスラエルの二つの家には妨げの石とつまずきの岩、エルサレムの住民にはわなとなり、落とし穴となる。


15 多くの者がそれにつまずき、倒れて砕かれ、わなにかけられて捕えられる。


16 このあかしをたばねよ。このおしえをわたしの弟子たちの心のうちに封ぜよ。」”

 

この箇所を順に見ていきましょう。

 

”1 まことに主は強い御手をもって私を捕え、私にこう仰せられた。この民の道に歩まないよう、私を戒めて仰せられた。”

 

この預言はイエスの時、そして終末の時をも見越した預言と思われます。ここで、預言者に、この民の道に歩まないよう、戒めが与えられます。終末の時代は多くの真理の道、神への道が曲がり、歪められた時代です。彼等の道に歩むべきではないのです。

 

”12 「この民が謀反と呼ぶことをみな、謀反と呼ぶな。この民の恐れるものを恐れるな。おののくな。”

 

今、この民、神の民の間では何が謀反と呼ばれているでしょうか。伝統的な聖書解釈、彼等の解釈に殉わないことが謀反でしょうか。しかし、たとえ彼等が聞いたことのないことばでも、それが神からでたものなら、謀反と呼ぶなといわれるのです。

また、今の神の民の恐れは何でしょうか。人々から異端といわれることでしょうか。しかし、それが神からでたものなら、恐れるな、おののくなといわれるのです。

 

”13 万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。”

 

要は神が聖書の中で、どういわれたかということが尊いのであり、その言葉をおそれ、おののくべきなのです。

 

”しかし、イスラエルの二つの家には妨げの石とつまずきの岩、エルサレムの住民にはわなとなり、落とし穴となる。”

 

イスラエルの2つの家とはイスラエルとユダの2国です。ですから、多くの神の民がつまづくことがわかります。それから一つ注目すべきことがあります。それは、この預言はイエスの時には正確には成就していないのです。イエスの時には、2つの家、民ではなく、ユダの家しか存在していませんでした。すでに北イスラエルの国は存在していなかったのです。しかし、逆にこの預言は終末に正確に成就します。
霊的なイスラエルである教会の人々がつまずく時がきます。

 

”15 多くの者がそれにつまずき、倒れて砕かれ、わなにかけられて捕えられる。”

 

多くの者がそれにつまづくと書いてあります。聖書が<多くの者>と書く時、それは文字通り成就します。確かに多くの者がづまづくのです。旧約の神の民にとり、イエスの時は非常に大きな転機の時でした。長い間、神の民として過ごしてきた人々がイエスにつまづいたため、祝福から外され、救いはみすみす異邦人へ渡されてしまったのです。同じように、終末にもこれらの<かしら石>につまづき、救いを今の未信者に渡されてしまうことが起きます。

さて、何故、人々がイエスにつまづいたのかを考えてみましょう。その一つの理由は人々の預言の解釈が正しくなかったからです。

 

ダビデの子として来るとの預言に基づき、彼等は地上の王として来る王をずっと待ち望んでいたのです。この預言に関して、誰も彼もキリストの来臨の約束の預言はそのように解釈するのが正しいと思っていました。ヘロデ王もそう思っていたので、自分の王座の危機を感じて幼子イエスを殺そうとしたのです。

しかし、実際のキリストは地上の王としては来ませんでした。その結果、”多くの者がそれにつまずき、倒れて砕かれ、わなにかけられて捕えられ”たのです。聖書の預言がわなとなったのです。

このことは終末の日にもっと大規模な形でおきます。終末に関する多くの預言はわなとなり、人々をとらえるのです。終末の預言はそのために用意されたものであることをしらなければなりません。

 

何故つまづくのでしょうか。それは、”彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。”

私達がみことばに従わない時、聖書よりも神学書、人の解釈を優先する時、私達もつまずいてしまいます。

 

終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

 

ー以上ー

 

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